バロセロナ建築散策@モンタネール建築と大聖堂

 

サクラダファミリアから歩いてちょっとの所にある世界遺産。サン・パウ病院。

元、病院と聞いて耳と目を疑うのだけど、どういう人が作ったのか知ってちょっと納得した。
ガウディを調べていると度々出てくるドメネク・モンタネールという建築家(Lluís Domènech i Montanerと書くのでムンタネーと読む事もあるらしい)。

 

 

この人はガウディのライバル!と紹介されることが多いけど、その時の社会的にはモンタネール氏のほうが全然格式が上で、頑張ってガウディを貶めていたような感じ。
ちょっと人聞きが悪いけど。

 

モンタネールは「花の建築家」と言われていて、細やかなタイル細工を使って花の装飾をする事で有名。
そして、とっても「貴族的」な雰囲気。ヨーロッパっぽいと言うのか、ちょっとフランスの香りがする。

 

 

続きの間の天井。
キツイ色合いではないけど、ピンク。
どこもかしこもとってもカラフルでこれでもか!と装飾している。
それがまた可愛いらしくて品がある色彩で、絵になるんだけど…。ここ、2009年まで診療が行われていたそうで…。

 

 

元、病棟。
ここにずらーっとベッドが並んでいたかと思うとちょっとなぁ。
確かに色彩は綺麗だし「病院という建物は殺風景で気が滅入るから患者さんが楽しい気分になるようなものを作った!」と言う気持ちに嘘はないんだろうけどね。だけどね。

 

 

これ、手術棟。天使がいます。
…あー…お迎えが見えちゃってる〜。とか思ってしまいそう…と言う感想の日本人。
なんかね、すんごく素敵なんですけど、入院したくない…。。。

 

 

晴れたり小雨が降ったり天気が忙しい!
30分くらいでこんなに色彩が変わってしまいました。
さらにカラフルに見えるなぁ。

 

一棟だけじゃなくて小さな町のようにこんな感じのカラフルな建物がずらーーっと並んでいるのです。

 

 

自分らは診療にきたわけじゃないから楽しめるけど、これが重大な病気とか、怪我とかで来たらさ。
「あぁ、自分はもうここから出られないんじゃないか…」って隔離された感があるんです。
雰囲気的にディズニーランドとかユニバとか、そういう非現実な空間に思えてしまう。

 

 

綺麗なんだけどね。楽しいんだけどね。

 

単なる風邪やちょっとした骨折とかじゃなくて、死の淵が見えている人がうつろに見える世界がこれだとしたら、ちょっと怖いなぁ。と思ったのです。

 

 

雲の流れで影になって真っ暗になった天使。

 

毎日がきらきらで美しく見えている人って、少なくて。
こういう風に見えている事のほうが多いんじゃないかと思って。自分がそうだから、そう思うのかもしれないけど。
病気の時に美しいものをみて元気になる余裕がある人は、一部なんじゃないかな、とか。
ちょっと「強者」の目線、を感じたのでした。これはイギリスの大英博物館でも感じたこと。

 

 

もういっこ、モンタネール作品。世界遺産です。
ツアーでないと内部に入れないので英語のツアーを予約してグループで回りました。カタルーニャ音楽堂。
バルセロナ音楽堂ではないのかと思って、今回のカタルーニャ騒動を思い出した場所。

 

 

とってもとっても美しくて、柔らかい色彩なのだけど、空間の重さと密度がすごい場所でした。
怖いとか圧迫感とかではなくて、隙間がないほどの「意識」で埋め尽くされた空間。。。

 

 

ガウディのそれとは全く違うものを感じました。
桐島はもう、ガウディ贔屓なのですみません(笑)好きなので。それ前提で読んでください。

 

モンタネール氏は「上流階級の目」を持っていて、上流階級の人向けのものを作る人なんだな、と感じました。
これは、庶民のものではない。そう突きつけられています。
今は宮殿でもお城でも観光で入れるけど元々は庶民には縁も所縁もない場所で。そういう場所に入るとものすごいアウェイ感があるんですよね。感動と共に。

 

 

よくパンフレットで見るここは本当にすごかったです。
ここで上がって、降ってくる音楽は聞いてみたい。奥にパイプオルガンがあります。

 

 

ちょっと上から見るとわかりやすいのですが天井のステンドグラスが立体になっていて、また美しいのです。
このホール自体が完璧な音響効果になっていて、ステンドグラスの1枚をクリスタルではなく修理のためにイミテーションにしたら音が狂ってしまったそうで。。。
今でもほぼメンテナンスなしでこの音楽堂は完璧な音を広げてくれているそうです。

 

 

ガウディの弟子の人が「ガウディではここまでのものは作れなかった。さすがモンタネールです」と言っているし、確かにすごい空間なのはわかりますし、感動しました。
ガウディの作品に出会わなかったらそうは思わなかったのかもしれないけど、この人の建築は「上流階級の人が心地よく過ごすためのもの」として作っているのだなと。感じた。

 

 

とにかく美しくて、豪華。
それだけがこの空間を支配している感じ。
バロック建築とか、そんな感じなんだけど。その美しさは大好きだったはず。
この、少しの違和感はなんだろう?と思ったのですが。

 

 

何かを作る時にはその「モノ」に対峙して作ります。それはどんなものでも同じ作業だと思う。
その対峙するもの、要するに向き合うべきもの。というのが、モンタネールは美意識だったり上流階級の華やかな人たち、それを望んでいる自分自身だったのかな、と思うのです。

 

病院の建築もそうなのですが、この人は暗くて寒くて怖くて一人で震えた事がない人なのかな、と。
誰も助けてくれなくて、泣いても何もならなくて。
疲れて、涙も出なくなって、一人で立ち上がって進んでみるしかなかったことが。ない人だったのかもしれない、と思いました。

 

 

モンタネールはガウディが出た建築大学の校長先生をしたり、公共建築やオリンピック関連の仕事を多くしています。
今でいうゼネコン系のデザイナーさんだったわけで。だから、とにかく明るく「力がある人」にウケるものを作っている。だって承認してお金を出すのが「力がある人だから」。
自分自身も力がある人になっていき、彼は政治家も経験しています。

 

 

ガウディは名前が売れてきても公共事業の類は街灯デザイン1本のみでやらせて貰えませんでした。建築のコンクールや賞も全く受賞していません。
認めてくれるのはパトロンであるグエル氏のみ。
何処からか仕事の話が出てきてもいつの間にか流れてしまったり、モンタネール組が手がける事になってしまっていたようです。

 

建築家というのは施工主がいなくては仕事が出来ないし、自分の作りたいものだけを作っていいわけではない。
もちろんガウディも自分の作りたいものを作っていたわけではないのですが、「自分の解釈で」相手の要望に全力で応えようとしていた人なのだと思います。
相手が喜ぶために相手を主軸にするのではなく、喜んで貰えるような自分自身の答えを探していくやり方なのかな、と。

 

モンタネール氏の建築をみて、ガウディの考え方の理解が深まった気がします。
とても美しく、どこを切り取っても素敵な空間でした。

 

 

最後はバルセロナ大聖堂。カテドラルです。
大聖堂と教会、の違いは。教会はいくつでも立てて良いけど大聖堂は街にひとつだけということ。
その街の教会を統べる一番大きな力を持つ教会が大聖堂。
町内会長さんみたいなものだね〜。と話したら急にありがたみが無くなりました…。。。

 

でも、この大聖堂には絶対来たかったんですよね。

 

 

内部の作りは古典的な大聖堂です。少し質素な感じはするけど。煉瓦で出来た、たかーい天井。
コウモリみたいなアーチが、ものすごく高い。

 

 

この場所はサンタエウラリア大聖堂と言う名前で、サンタエウラリアというのは実在した13歳の少女。
ローマ帝国がバルセロナに侵攻してきた際に、ローマ人はカタルーニャ人にキリスト教を捨てろと命令します(当時のローマ帝国ではキリスト教を禁止してました)
拷問や処刑を受けるのでカタルーニャ人は次々にキリスト教を棄教するのですが、サンタエウラリアだけは13の拷問(書きませんが教会内に残っている壁画を見るだけで痛い…)のち斬首されてもキリスト教を捨てませんでした。

 

 

小さな少女が、殺されても捨てなかった宗教心。
なぜ、そんなに強くその宗教を思えるのか。なんで捨てなかったんだろう。
自分には理解できませんが、バルセロナの市民は彼女を悼み、聖人として祀りこの大聖堂を建て、バルセロナの守護聖人になりました。
写真はエウラリア嬢が眠る石の棺です。

 

 

きっと神様の近くにいけて、聖人になれた彼女はとても嬉しいでしょう。
悔いなどないだろうし、死してなお皆に愛され、聖人としてバルセロナを守っています。

 

もちろん昔のことだし、創作も入っているとは思いますが、他の大聖堂でこんな小さな普通の少女が聖人になって大聖堂に祀られていることは聞きません。
(セビリア大聖堂なんかイスラムモスクよりもでかい大聖堂を建てちゃる!っていう目的で南米人を虐殺して金を数トン持ち込んで作った教会ですもんね)

 

 

そんなことを考えつつ、サンタエウラリア嬢のことを思いながら大聖堂を歩いていると、マリアさまや聖人たちにリボンがついているのに気付きました。
あっちこっちにあります。
写真には写していませんが、これらの像は鉄格子越しにあるので、もちろん触れるわけではないです。
でも、リボンがマリアさまの左小指につながっていて、そのリボンをあなたは触ることができますよ、と書いてありました。
なんか、いいな。って。気持ちが暖かくなりました。ほんとに。

 

 

大聖堂を出ると中庭に噴水があってお庭があって、ガチョウがいます。
エウラリア嬢がガチョウを飼っていたそうで。彼女が寂しくないようにガチョウがいます。

 

 

溢れる木漏れ日と、水の音とブーツが踏む石畳の音。
捧げられたろうそくの炎が揺らめいているのを見て、とても落ち着きます。

 

 

大聖堂ってすごいけど、ちょっと怖かった。
でも、ここはとても綺麗な空気で、悲しいけど寂しくなくて。
人がたくさんいて、鳥もいて。 良い場所です。

 

ガウディのお葬式をやったのもここだと聞いて、うらやましくなりました。

 

なんでか、サンタエウラリア嬢の顔を見て思い出した人がいます。なんか、ね。

 

次はサグラダファミリアです。

 

 


バルセロナ@ガウディ建築巡礼2(グエル邸・グエル公園)

 

ガウディと言えばグエルさん。というくらい付いて回る名前。

ガウディってサグラダファミリアとグエル公園が有名だし。グエルってガウディのパトロンの人の名前なんだって。
へー。パトロンかぁ〜。ヨーロッパって感じだね〜。
…というくらいの知識しか無かったのですが。。。。

 

 

訪れるにあたり、調べれば調べるほどにガウディとグエルさんの絆が深い事が分かってきました。

 

 

ガウディ関連は日本から全て予約して行ったので、グエル邸も時間になったら入場。
平日だったのもあってか、結構空いていました。
入り口すぐのエントランス。当時は馬のままお屋敷に入れるように地下にまず通していたそうで。
蹄がひっかかるのかな??っていうくらいのスロープ。

 

 

地下はなんか、 FFの水路ダンジョンみたいだなぁ…とか思っていました(3とか4あたりの)
今回の旅でこういう「誰もいない写真」を撮るのに一番苦労したのはここです。。。韓国人カップルがお互いをずーっと撮影し合ってて待っても終わらず…。笑
2回目のトライで別の韓国人カップルの撮影の移動する瞬間を狙って撮影した1枚。
この青い光をどーしても入れたかったのです(太陽光です)

 

 

で、エントランス!!
この場所の写真とかはネットで見た事があったのですが!こんなに人がいない状態で撮影できると思わなかったのでほんとにびっくり。数分間だけ貸切だったのです。
この絨毯。なんかCGみたい…。。。完全順光で奥にもライトがあるのでHDRみたいになってます。笑

 

 

玄関登ったところ。もう、もう、豪華絢爛。重厚感!

他のガウディ建築と全然雰囲気が違うのはガウディが「グエルさんは凄い偉大で凄い人なんだ!!」って言うのを伝えたかったから。という。
そしてイタリア様式建築なのもグエルさんのお嫁さんの親御さんがイタリア出身だったからだとか。

 

 

窓は多いわけじゃないのですが、外光の入り方が素晴らしく、映画の中に迷い込んだような錯覚を覚えます。
モチーフひとつひとつが凝っていて本当に目移りします。
この家は鉄と石が多い印象。

 

 

赤い絨毯の階段を登ると、なんか、目黒の雅叙園の錯覚を感じます。
全然違うのだけど、万華鏡のひとひらみたいにつながっている気がする。

 

 

階段を上がったところにある鉄の柵。
グエルさんは鉄鉱山をたくさん持っていてそれで財を成したそうで。そのことを伝えるためにグエルさんの山で採れた鉄を使っているとか。

 

 


寝室の飾りがちょっとアールヌーヴォー(モデルニスモ)な雰囲気。
この家は「ガウディっぽくない」と言われる事が多いですが、ガウディの建築を「カラフルではちゃめちゃな建物」と表現するなら確かにガウディっぽくないんだと思う。
ガウディは相手を尊重し、尊敬する人なんだって、いくつかの建築物を見て感じました。
その、尊重というのは自分のフィルターを通す事だからガウディの思考が垣間見える。他の建築家には作れない作品が完成する。

 

 

階段ひとつをとっても美しい鉄でできていて、シルエットまでも計算されているのがすごい。
グエルさんのガウディへの信頼ぶりも、本当に素晴らしくて。
赤の他人がこんなにひとつの心で繋がれるのかと思ってしまうくらい。
ガウディの作るものに心から惚れていたのだろうし、ガウディもグエルさんの人柄や信頼に心から答えたい!と言う一心だったのだと思う。

 

 

グエルさんは、ガウディにとって神様みたいな存在だったと思う。
自分の全てを肯定してくれて、芸術を理解してくれて、背中を押してくれて、手を引っ張ってくれる。
どうしてそんなにガウディのことを好きだったのかと思うけど、グエルさんもガウディの作品に救われていたんだろうな、と。この天井を見て思いました。
宇宙を見上げるようなパイプオルガンの仕込まれたホール。
モスクの天井を思い出すし、満天の星を思い出すし、海の底みたいでもある。

 

 

天井のこの作りもイタリア式とあったけど、イスラム式宮殿にも見える。
迷路みたいな作りがとても面白くて。決して広くないバルセロナの一角が別世界につながってしまったよう。

 

 

金色にも見える天井。
真っ赤な壁紙とゆるいアーチがまた異世界に来てしまったようで、平行感覚がなくなっていくみたい。
でもこの浮遊感はモスクと一緒。

 

 

ふわふわした中でものすごく気になったのがこの絵。絵っていうか、石に金箔で彫ってあるみたいな感じ。
ミュシャみたいな感じ。きらきら光を反射して、しばらく見入ってしまった。

 

 

こんな風に少し立体的?というか、絵っていうのかな。なんていう技法なんだろう。
つるりとしていて、きっと触ったら柔らかな冷たさなんだと思う。雨の日の午後に向かい合ってみたい世界です。

 

 

最後は屋上。
途中から結構人が増えてきて全体を撮影出来なかったのですが、ぼんやりと一部を見たり。
誇らしげにお屋敷を紹介し、「これを作ったのはガウディなんですよ」と何度も何度も嬉しそうに言ったのだろうなぁ、と思うと本当に、なんでか、ちょっと嬉しい気持ちになる。
ガウディのひたむきさというか、不器用な一生懸命さを、掬ってあげてくれて、ありがとうございます、って思うんだ。

 

ただの建築家とパトロン、ではない。心からのお互いの信頼を、お屋敷から感じました。
とにかくこの人を喜ばせたい、世間に認めさたい!っていうのを、お互いに思っていたんだろうな。

 

 

別日なので空がどんより。こちら、グエル公園です。
砂糖菓子のような建物、と称されていたけどほんとにその通り。美味しそう。
よく見れればみるほどに細かなタイル。でもイスラムのそれとは違う有機的なつくり。

 

 

別角度から。ぐるりと回ってみてもひとつも同じ場所がない。
グエル公園のタイル装飾は弟子たちが作ったものが多くガウディ本人はやってなかったそうですが。
でも信頼してないとやらせないしね。ガウディの理念を分かち合って、お互いを認め合っていたんだろうな。

 

 

これはペンタコちゃん。
グエル公園はとにかく人が多くて、多くて、多くて。笑
どこを撮っても人が写り込んでしまうよなーって雰囲気しかなく…。園内が改装工事中で縮小されてたのもあるかも。

 

でも植物が多くて花もたくさん咲いてて水の流れもあって。
これが「街」になっていたら夢の中みたいだったろうなぁ、と思いました。
薔薇の実にピントを合わせたら建物がビスケットみたいになった。

 

 

人が入れない方の装飾。タイル貼りでびっしりかと思ったら以外と遺跡みたいなアーチが目立って不思議な世界。
長い年月を経ているからだと思うけど、隙間に植物たちが生き生きとしていて心地よい場所です。

 

 

これ、有名なトカゲね。シンガポールのマーライオンみたいなもの?(みたことないけど)
思ったよりでかかったです。で、水は口っていうか、顎から溢れてますよって感じで…。
とにかく人が多くて一瞬だけ撮れた1枚。

 

 

これはトカゲの後ろにあった神殿みたいな場所の天井。
こういうモチーフ的なものがいくつもあって。瓶の底とか、ガラスの破片とかビーズみたいなのとかも刺さっていて面白い。
ガウディ建築のカラフルな場所は全てジュジョールくんの仕業だとか。サクラダファミリアのステンドグラスもほとんど彼の色彩センスなんだって。
ガウディはカラフルなわけではない、というのも結構衝撃。
次にバルセロナに行ったらジュジョールくんの建築も見に行ってみたいなぁ。

 

 

やほー。さくまです。

 

 

バル・セロ・ナー!

 

10月初旬、日本はずっと雨で寒かったのですがスペインはほぼ晴れ!バルセロナは昼間26℃くらいでした。
さくまが入るととたんに楽しそうな写真になる。。。笑

 

 

10月は夏の残りの花とちょっと、って感じだったけどそれでも気持ちよい空気だった。
グエル公園は結構山間にあるのもあって、海が見えるんだよね。

 

 

さくまくんの後ろにある穴倉は完全に鳩たちの巣になっていて、1穴に1家族住んでいました。
ちょっとジャングル的な感じがいいね。綺麗すぎないのがいい。

 

 

もうただのポートレートです。笑
楽しそうな雰囲気をお届けできれば。

 

 

ルリマツリもあちこちで咲いているのをみました。モロッコにもあったなぁ。
乾燥に強い花なのかも。

 

 

後半、さくまが可愛いだけになってしまいましたが(笑)グエルさんとガウディの深い繋がりと、この先の建築につながる事を色々考え出した時間でした。




バルセロナ@ガウディ建築巡礼1(カサミラ・カサバトリョ)

バルセロナに来た一番の理由がガウディ建築関連を訪れること。

興味を持ったのは建築雑誌。建築に興味を持ったのはさくまくんと逢ってからの影響なので、ほんとに微々たる知識なのですが。とりあえず関連書籍や写真集を買いまくって読んでから行きました。

 

 

 

訪れた順番は違うのですが、いくつかに分けて記事にします。まずはグラシア通り沿いにあるカサ=ミラとカサバトリョ。

こちらは、カサ=ミラ。La Pedrera書いてあることが多いのであれ?と思う。
これが直訳で「石切場」なんだって。当時はものすごく評判が悪くて石切場ってのは悪口の意味。
うーん。そういう意味でつけた名前を今評判がよくて人が集まっている場所ならCasa Milàだけでいいと思うんだけどなぁ…と。思った。

 

 

ある意味観光地写真なので、割愛しようとも思ったのですがカサ=ミラの評判は他のガウディ建築に比べて良くなくて、「入場料の元が取れない」とか「時間がなければ行く必要なし」とか書いてあったのでどうなんだろう?と思っていたのですが。
ここって現在も入居者がいる生きている建築なんですよね。マンションなんです。だから入れる場所が少ない。
ここは観光客が入れるエントランスの吹き抜け。もう1つは住人用。

 

 

一番好きな場所はここ。エントランスすぐの鉄の門が水面の波紋みたいでとても美しいと思ったのと、この天井!!フレスコ画法みたいなんだろうなぁ…と勝手に推測。漆喰に塗料を混ぜ込むんじゃなかろうかと。
うねりの混ざり具合がとても美しくて、夜に見たらライトが生えてまた違うんだろうなぁ〜と、しみじみ思いました。

 

で、このあとエレベーターに乗り、一気に屋上に行って屋上散策ができるのですが。
屋上…すごい人混みで自撮りをする人、人、人、、、で。風景写真は無理でした。笑
人が映りすぎているので載せられる写真がないので気になる人は検索してみてください。
屋上からサクラダファミリアが見えたりしてきゃっきゃしますよ。

 

 

で、急に別の世界にやってきてしまったかのような洞窟みたいなこの場所は最上階の博物館。このレンガのアールがモンセラットの地下聖堂を思い出して勝手に胸熱になっていた桐島です。
ガウディと言えばサクラダファミリア。サクラダファミリアと言えばアレです。

 

 

これこれ。逆さ釣り模型。
下が鏡になっていて立体的に見ることができます。サクラダファミリアにもあるけど、実際に回りがこの施工をされているので何だか不思議な感覚。今回モンセラットには行けなかったので次回ぜひ行ってみたいなぁ。

 

 

さっきいいなぁ!って言ってた玄関の模型。1/35だったかな。
ものすごく精巧に作られています。建築は、模型ありきだけど実際に見ると面白い。

 

 

サクラダファミリアや他のガウディ建築の模型なんかもあって好きな人は本当に面白いのだけど。
興味がない人にはつまらないようで…。さーーーっと歩いて行く人はいました。これ、よく見るとガウディみたいな人形が座っているし鏡がついてて下から観れるし!

 

 

ガウディのことを狂気の建築家とか言う人がいて、まぁ好みは分かれるけど。
少なくとも建築学と物理と数学と生物学が大好きな人だという事はわかりました。そして美術や文化史、宗教学にも興味が有るってことも。偉人と呼ばれる人は本当に多彩だけど、作品を作るために何から見出すのか?は結構重要なのではないかと思う。ガウディはそれが植物や自然科学であることが多かったという。

 

 

で、もう一個下の階も展示スペースになっていて。ここは当時の家具や調度品を再現しているのだけど。
この部屋を見たとき「あ。ベーリックホール!」って思った。そういえばベーリックホールはスペイン様式!

 

 

レースカーテンがちゃんとアンティークだったり。

 

 

壁に飾ってあるのがちゃんと木彫りだったりして。
モデルニスモ建築流行りの時期だからちゃんとアールヌーヴォー!美しいです。

 

 

これは同じ部屋に飾ってあったお花。
紫陽花とかすみ草と、緋色のテーブルライナーが美しくて。人の波を縫って撮影しました。

 

 

中に売店もあって、いろいろ。モリスなんかも売ってて面白かったけど。
足元が2色組のヘリンボーンになっててゴロゴロしたくなったのでした…(堪えた)

 

 

天井もめまいがしそうに美しい漆喰。
カサ=ミラは建築好き、当時の暮らしやにおいに興味が有る人におすすめです。
単純に面白い建築(パっと見わかりやすい)が見たい!という人には物足りないかも。

 

 

で、パっと見わかりやすくてテーマパーク的な面白さは断然こっち。カサ=バトリョ。
(でも両方それぞれ良さがあるので桐島的には両方見た方が面白いと思う)
骨みたいなデザインの方です。両隣共デザイナーズなので次回はお隣さんに行くことを決意。

 

 

表面の粉砕タイルがきらきらして美しい。夕焼けとか綺麗だろうなぁ〜。

 

 

中に入ると人の多さにまずはびっくりしますが(笑)それ以上に「想像するガウディ建築」っぽさ。
ちょっとディズニーのトゥーンタウンっぽい感じさえします。笑
「ガウディって直線がないんでしょ?」って聞かれたけどこの建物はそうかも。

 

 

カサ=バトリョは個人邸でバトリョさんちでした。海をテーマに作られたおうちなので、もうあちこちがブルー。
そのブルーもいろいろで面白い。人が感じる青だったり、光の濃淡の蒼だったり、生物の碧だったり…。
海というよりも海を解釈した感じ。
写っているのはさくまくんで、吹き抜けを撮影しています。(ヘッドフォンはオーディオガイドの付属品)

 

 

 

ガラスがいちいちステンド技法で水面みたいに波打っているから困る。
ほんと美しくてモネの絵画みたいだし、氷みたい。触れると、とろんと、していてため息です。

 

 

予約制なのですが、一番人が多いと感じた場所かもしれません。
建築自体がポップで非現実的なのと、ある意味わかりやすいのと、オーディガイドが秀逸すぎるのです。

 

 

貸してくれるのはこれ。スマホ型オーディオガイド。
VR方式で、部屋の中を映し出すとその場所に応じたCGが動いて説明と共に動き出すのです!
この場所は「この窓は亀の甲羅をイメージして作られました」ってアナウンスがあると実際に亀が窓から生まれて動き出すという仕組み!これはすごい!!
で、画面の中には人はいないから、人混みを感じない不思議。

 

 

これは天井。ミルククラウンが繊細な石膏で表現されています。
VRではこの真ん中にシャンデリアがありました。

 

 

これは別の部屋のシャンデリア。珊瑚みたいだなぁ。と思って。

 

階段で上まで登るので体力必要です。(身体都合や難しい方向けにエレベータはあります)
途中の小部屋の扉がディズニーぽい。凝っていない場所がない!!のですが、人がいない瞬間を狙ってもそれがないのでなかなかアップできる写真が少ないのです。。。

 

 

屋上にも行けますがここは面白かった。屋根裏部屋。
いきなり真っ白の石膏作りで、あれ?モロッコ?と思ってしまった。
いやほんとこれはモロッコ感満載です。乾燥室と洗濯室として作られた模様。

 

 

この壁の段々とかは通気口なのです。アールのアーチはレンガを石膏で埋めたんだろうなぁ。
教会みたい。

 

 

小さな階段や照明にも愛を感じます。
下の凝りまくった空間も面白かったけど、この屋根裏部屋はすっごく落ち着く場所でした。

 

この場所に来て思い出したことがあって。ALEXANDER McQUEENの存命最後のコレクション2010S/Sのテーマが海だった。

その時の会場の光とか色彩とか、海の見え方がこのカサ=バトリョにとてもよく似ていて。
もしかしたらマックイーンはここに来たのかもな、と思ったのでした。
ほんとーーーーに時間がないか、建築にあまり興味がなかったらカサ=バトリョだけでもいいけど。
カサ=ミラの祈りの場みたいな敬虔さも素敵だと思います。
記事はガウディ建築2へ続きます。

バルセロナ街角散策思考録@ちょっと追記

10月に入ってすぐ、スペインモロッコ建築巡りの旅に出てきました。

スペインバルセロナ市内〜モロッコ南部〜スペインアンダルシア地方各地の旅。自分記録も含めてほろほろと記していきます。
モロッコはヴァカンス的な感じでしたがスペインはホントに建築巡り。バルセロナと言えばガウディですが市内の路地裏や大通りのスナップも楽しみにしていました。

 

 

バルセロナの大通りと言えばグラシア通りランブルス通り。大きく1本、整備されていて突き抜けているので出ると「あ、ここに来たか」と遠くから見てもすぐ分かって便利。
東西南北把握というよりも坂道の上にサクラダファミリア、下に海。真ん中にグラシア通りランブルス通り。
で、自分はその左右上下のどこにいるのか?で考えるとわかりやすかったです。
(京都みたいに区画が分かりやすく碁盤目で整理されているので数で数えれば迷わない)
大きな通りはヨーロッパ!って感じの白亜な建築物。ヨーロッパってどこも一緒で飽きちゃった、と言っていたおねーさんの言葉がよぎります。

 

 

ランブルス通りは今年8月に歩道に自動車が突っ込むテロがあってからかなり警備が強化されていて。警察やパトカーがあちこちに。路地も封鎖されていたり少し物々しい感じ。
あと、桐島たちが到着した日はちょうど10月1日の独立選挙のデモのゼネスト日(3日)だったのでそれもあるかも。
写真は翌々日の10月5日。ゼネストやデモのお話もあとで少し。

 

 

これはグラシア通り少し北のほうの高級店が並んでいるほう。
ディオールの出窓に下はブルガリ。この辺りすごーくハイソな感じ。
こういう切り取り方をするとフランスなのかロンドンなのか桐島には分からなくなってしまう。もうちょっと知識があるといいんだろうけど。

 

 

結構遠くから目立った建物。カサ アントニ ロカーモラ。1914年完成のネオゴシック様式の建物。カサ、というは家という意味(だからモロッコのカサブランカは白い家という意味!)。
オレンジ色が朝日に映えてなんだか夕焼けみたいな雰囲気だなぁ、と思ったのです。

 

 

マックスマーラが入ってる建物。上に天使がついていてなんか素敵なんだけど名前が出てこない。
そんなに名のある建物ではないのか…。
グラシア通りとティプタシオ通りの交差点。結構目立つ。

 

 

ちょっと規模は変わるけどランブルス通り下のほうの映画館かなぁ…?と思って帰って調べたら「王立科学・芸術アカデミー」!とあってびっくり。よく読んだら1Fは現在劇場として使われているらしい(ほっ…)
上のドームは天文台でこの時計がバルセロナの公式時間とされていたみたい。
夕暮れ時。デモの集会場だった広場を眺めながら色々考えながら撮影した一枚。
スペインは建物がビシっとしているトコとそうでないトコがいい。

 

 

ではでは。大通りからちょっと路地裏へ。
路地裏は主にゴシック地区と呼ばれるカタルーニャ広場から南のほう。
急に狭くなって建物が高く感じる。

 

 

広角レンズで撮ってこんな感じ。細くて日が入らない路地裏。
モロッコのフェズの迷宮を思い出してちょっとワクワク。スペインは日差しがキツイのでこの仕組みは日陰が多く出来てとってもいい。

 

 

まぁ日陰には日向では暮らしにくい人が集まったりもするわけで。
ゴシック地区はスリやひったくりが多いので要注意とあちこちに書いてある。
でもこの感じは嫌いではないのです。

 

 

まだ日中。明かりが点くとまた違うけど点くちょっと前。
まっすぐの先に進みたくなる。

 

 

見上げると電線とか植物とか絡んだり繋がったりして。
高級店が並んでいるよりも落ち着く感。
ベランダに植物を置いている人が多くて見ているだけで楽しい。

 

 

あと、フツーの建物にこういうレリーフが入ってたりして。
なんかいいなぁ〜と思うのです。必要性ではないデザイン。美しい。

 

 

狭い道なのですがギリギリ下がって撮ってみた路地の交差点。
左の建物が今回のお宿「Hostal Grau Barcelona」。とっても感じよく清潔でよかったです。超おすすめ。
HPから直接予約しました。カタルーニャ広場から徒歩5分以内。

 

 

ちょっと数本路地裏に入るとこんな感じになってたまらない。
ブーツの音が石畳に響いて気持ちいい。

 

 

ピカソら芸術家たちがたむろしていたと言われている「4Cats」というカフェ。一度なくなって再建されたというから別物なんだろうけど雰囲気はよかったです。中身を期待して行った人はただの観光地でがっかり!というけど。
その「場」の雰囲気って場所ではなく人間な気がするからきっと同じものはその時代に生きていないと感じられないんだと思う。その残り香の最後のかけらを綺麗に並べて保存しておきたい、って人が店を維持するんだと思う。
去年のパリのShakespeare and Companyも同じ。ヘミングウェイやマンレイが通いつめていたと言われているけど今あるのは2号店。でも、無くしたくないって考えている人がいる。

 

 

4Catsはグアトロガッツでそのまま4匹の猫。お店の看板にも猫がいて可愛い。
ツアーの団体が通るくらいの人気スポット。

 

 

モデルニスモ建築という名前を知ったのはガウディを調べ始めてから。
アールヌーヴォー様式が流行ってスペインにやってきたのがモデルニスモ建築。だからほとんど意味は同じ。町のあちこちにこんな趣のある小さなお店があります。

 

 

でもこういうお店もその土地の雰囲気がわかって好きだなぁ。
花屋がある町だったら花屋は見に行きたいと思う。花の選び方ってその町の雰囲気そのものだと思うから。

 

 

まぁ、観光地だから個性あるお店は色々あるけど、カラフルな感じが多いです。
赤とオレンジに緑!って雰囲気。
あとこれ。小さいお土産マグカップマグネットに多肉植物とかサボテンが入ってんの。
…で、千日紅がぶっ刺さっているのです。。。
あ、サボテンの花…じゃない!!!(笑)気づいておかしくなった。

 

 

ここにも多肉植物に千日紅。千日紅って花です。乾燥しやすいやつ。
そもそもいろんな種類の植物なのに全部同じ花咲いてるし。おかしーーんだけど。
まぁ、そんな細かいことパっと見気にならないかな…。
自分も一瞬「あ!サボテンに花が咲いて…」って近くに見に行って気づいたくらいだし。笑

 

 

路地裏にたくさんぶら下がっていたのは観葉植物。
花より植物が多くて、結構巨大化してる。
バルセロナは北部だから南部に比べたら涼しいけど、それでもフランスのニースよりもだいぶ南なわけで。

 

 

ちょっとモダンだなぁ。と思ったほかのお店と違う雰囲気のアレンジ。
色数は多くないんだけど、原色をうまく使う感じがする。

 

 

素敵だな、と思ったブーケ。薔薇の実を主役にしてアジサイも入ってる。
きれいと美しいの違いってここかなと思う。
蕾を売っている店がほとんど無いのもいい。咲いている状態で貰ったら嬉しいと思うんだ。
日本は蕾が多い方が好まれるけど出荷時点ではもっと固い蕾だからよほど状態がよくないと咲かない子も多いから、咲いている状態で迎えた方が元気だと思うけどなぁ。
価値観って、それぞれだなと思う。
今回の旅で色々思ったことはあるけど総じて「許容」「受容」について思うことがあった。

 

 

白い建物は夜になるととても美しいと思う。
ちょっと白っぽい石でできた建物。コンクリートのてかてかしたのじゃなくて。
夜の紺色と肌色が相まってとても艶っぽい。
この時期は明るくなるのが朝8時、暗くなるのも夜8時で。
スペインのお夕飯は21時過ぎてから。ぷらぷら、よく歩きました。

 

 

そして、独立デモやスト。
それらを行使することは誰かに迷惑をかけることでもあるけど、迷惑をかけたって「やりたい」事なんだと感じた。
日本では「迷惑をかける=悪いこと」が割と一般常識で。何が迷惑なのかも「一般常識」もしくは「相手が迷惑だと最大想定で思うこと」であることが多い。察する文化っていうのが苦手で、分かっていても我を通すこともある桐島ですが。
迷惑だからやめる。じゃなくて、まず自分はこういう考えを持っていると主張すること。
それを相手に伝える意味を考える。

 

<「」はスペイン語の「Yes」独立に賛成します、という意味>

 

言われた方だって自分の考えを主張するし、権利がある。でも、本当はどっちも同じだけ権利はある。はず。
だから、主張することはとても大切で、そもそも自分の意見を持つことが大切で。その理由と求めている結果も自分自身の結果になる。
で、お互いの考えを「認められるかどうか」が争点なのかなと。

 

<デモのあと。ものすごいゴミの山だった翌日、街はピカピカに。残ったデモのかけら>

 

協調性や集団性を重視するとその手前の「意見を言う」というのが争点になってしまう。だから、意見を言うこと自体が問題になってしまう。

 

 

外国、に来ると手書きの文字が気になる。
そこに暮らしている人が書いているんだな、って思うから。

 

 

自分には旅でもここが生活の人がもちろんいるわけで。自分の目線とはもちろん違う視点でここを見ている人がいる。
だから、お互いに「良いと思うところ」と「嫌だなと思うところ」が違うんだと思う。
日本と海外を引き合いにしてもお互いどっちがどうなんて決められなくて。結局はどっちもどっちだと思う。
ただ、そのどっちもどっち、のたくさんの項目の中に自分が重要視する何が含まれているか?は考える。

 

 

可愛い文字。おしゃれな友人の書くメニューボードの文字にちょっと雰囲気がにてる。

 

多様性って個性でしかなくて、個性は個人でしかない。
多様性がないと集団は伸び代がなくて、伸び代がない集団は衰退していくしかない。
じゃぁ、その集団はどうやってうまくやっていこう?と考えるのが政治なのかな、と。

 

そんなことを考えながらバルセロナの旧市街を歩いたのはガウディについて考えていたのと、カタルーニャ独立問題があったからでした。
ゼネラルストなんて日本じゃ有り得ないと思うけど、じゃぁなんで有り得ないと思うのか?をもう一人の自分が問いかける。

 

問いかけつつ、旅が続きます。

Viridianblueの森の中で@aria

 

ariaを撮らせてください。と、一年ぶりのお願い。

 

溶け合うようなずるずるした雰囲気で、陰鬱な、隠者のような、探し物をしているような。

でも、暗がりの中で惚けているような。

 

 

たぶん、共有している世界は言葉にするなら、そんな感じで。

何があったとかは、お互いにあまり聞かないけど。撮影前のお互いの精神イメージというか、落ちている部分の深度がちょっと似ているかなぁ、と思ったので。

自分の心象そのままに、撮らせて貰いました。

 

 

掴みたいわけじゃないけど、最後の一粒みたいに思えて。

でも、実は、求めているのは光じゃなくて、雫だったのかもしれない。

 

 

触れたら壊れてしまう。

求めているわけじゃないし、欲しいわけじゃなくて。

ただ、それは綺麗なものだとは、思う。

 

 

大切にしている温度、熱、質感、とか。

そういうのを、撮らせて貰っている感覚。

 

ariaと、絵の話しが出来るのがとても嬉しくて。

なぜか思っている事が同じだったりして。

目の前にキャンバスがないけど、まるで一緒に絵を描いているような感覚になったりして。

 

 

雨音が聞こえる中、透明な光と遊ぶ。

そんな強い光はいらなくて。少しだけ。

 

 

繊細な星がきれいで。可愛いとかじゃなくて、とてもきれい。

星を集めたらこんな星図になりそう。

雨の蒼が写り込んだ黒が、天幕の紺色になる。

 

 

その、先を求めるような気持ちはあるけど、今は「そこにあるもの」を美しく認識出来るように、気をつけて撮影しました。

悲しくて、暗くて、どこにも行けない気持ち。

だけど、美しい、その景色。

 

 

哀しいのと美しいのはちょっと似てる。

あなたのことだとしたら、楽しい毎日がそりゃあ一番にきまっているけれど。

自分には当てはまらないんだなぁって。

たぶん、ariaもそう思ってるはず。

 

 

怒りみたいな強い感情はもう何処かへ消えて流れてしまって、ずっとないけど。

ひたひたと浸み込んで、水張りをした紙へ滲んで消えないような。

そういう感覚を、閉じ込めたいと思った。

 

ariaの心に触れたというわけじゃなくて。心は見せてくれているのだけれどね。

通じ合うわけじゃない。踏み込んでいるわけじゃない。交流しているわけではない。

深度が、少し似ていた、感覚。

 

 

どうしたって消したくない灯りはそのままで。

それが最後の砦のように、自分の心を守ってくれるような。

 

森のにおいと、雨音と、水の音を聞きながら、撮影しました。

とても美しくて、シャッターを押す音さえ聞こえないくらい。

 

この世界でよかった、って。思いました。

aria、撮らせてくれてありがとう。

 

フィルムは現像に出すので、もうちょっと、待ってて。

 

 


存在しないひと。@木桃いつな

 

島根の旅の目的のひとつ。

木桃さんの撮影。撮影する主題とスタイリングだけ決めていて、撮影場所は前日に決定。

朝5時起き、6時から撮影。

まだ、朝の気配がほの仄蒼く残る山陰の朝。

 

 

灯りはつけないで、緩く差し込む朝だけ。

まだあちこちに夜が残っているような濃淡。真っ白なドレスに少し夜が残る。

 

 

白いドレスは薄くて綺麗なリネンでできていて。

お互いが好きなデザイナーさんの作品。

毎回そうだけど、何を撮るかということを話しているうちに、どこへ行きたいのかを決めていくような感覚。

それは会話じゃない時もあるし、言葉でもない時もある。

 

 

美しいと思うからシャッターを押すのであって、「きれい」でも「かわいい」でもないと思う。

「こわい」とか「つめたい」はちょっと似ている。

感覚の共有。

 

 

そこに座っている被写体を撮っているのではなく、お互いの心の中の一部を引きずり出してここに置いたみたいな感覚。

それが何かと言われたら言葉にできないけど、写真にはなっていると思うから不思議。

 

 

かなり、暗いけど、それが良くて。

ざらりとした質感。ファインダーでは真っ黒に近い。

浮かび上がる透明な影と白い足。

 

 

人間の写真を撮っているというか、精神を撮っているという感覚。

ポートレイトではなくて。そんないいものじゃなくて。

彼女の顔を、撮ってるわけではないのです。

 

 

この百合を見た時にものすごく怖くて引き込まれて。目が離せなくなったのは。

植物が持つ命の落ちてゆくさまが、見えたからかもしれない。

雨あがりの美しさと、朝が消えてゆく、かなしさと。

水を含んだ空気が、山百合のけだるさに馴染んで。死の、においみたいだった。

 

 

その百合たちの園に、ふわりと混ざれる存在。

木桃さんは存在しないけど、存在する不思議。

 

あるひとに「このモデルさんは『こう撮られたい』っていう意思がないから、どこでも入れるんだろうね」と言われたことがあって。まさに、そうかも、と。

木桃さんは旅をするひとで、どこにでも行けるんです。でも、どこにも行けない。

 

 

その、線引きみたいなものを、必要とする時があったのかもしれないけど。

なんていうか、だんだんよくわからなくなってくる。

 

表現したいものを形にしていく作業よりも、ただ、脳内の仄暗い蒼い色がずるずると引き剥がされていくような。

 

 

それでも、静かな世界は水の中のようで。

光が少ないからこその、溶け込むような紺色。

 

 

前回の撮影が台湾だったのを思い出して、ちょっと懐かしい。

でも、ここは台湾よりも、パリよりも遠く感じる。

 

 

どこでもない場所というのを探しているわけじゃないし、そういうのを求めているのはもういいと思うけど。

こうして心の中をざくざくと削って洗い出すのは嫌いじゃないし、きれいなものになると思う。

 

 

その、幻のような一瞬に、シャッターを押す指がありますよう。

そのまま消えてもいいような、瞬間の光が、美しかったです。

 

 

木桃いつなさん、被写体ありがとうございました。

 

撮影は他郷阿部家でした。

 

 


真夏の、島根旅。

誘われて、島根県。

数年前にひとりで出雲大社には行ったけど、それっきり。

今回は出雲より南の、山の中の、中。

 

 

石見銀山のお膝元に行ってまいりました。

石見銀山に来たのかというと、そうではないので銀山には行ってないのですが。この土地の緑の色が他の土地の色とは違うのが印象的でした。

 

 

到着して、駅でどしゃぶり。一瞬の隙をついてバスに乗り込むも、霞がかるくらいのどしゃぶり。

同行人が自他共に認める、最凶の雨女と言っているので間違いはないでしょう。。。

 

 

とはいっても、雨の景色が美しいので思わずカメラを向けたくなる。緑の色彩。

日本の森の植物は鉄紺にビリジアンを混ぜて光を当てたような色彩だと思う。美しいけど影がある、水の色。

群言堂本店のカフェでお手洗いに立ったのに、庭があまりに素敵でしばらく帰ってこなかった桐島。

すみません目的が寄り道してしまうと、(精神共に)どこかへ行って帰ってこれなくなります。。。

 

 

お誘い自体は半年以上前にいただいていて、旅はもちろん楽しみにしていたのだけど。
自分自身と周りにいろいろありまして。心が穏やかではないというか、ある意味穏やかにもなったのかもしれないけど。うきうき楽しい心象ではなかったので。
雨の音を聞きながら深い深い緑色を見るのは、とても心地よかったです。

 

 

ランチを食べて、しばらくしたら陽が射してきたのでまたお庭へ。
天井のぶどうの木の木漏れ日がとても優しい。枕木のテーブルの苔たちも喜んでいるよう。

 

 

雨上がりのフィルム。

映り込みの向こう側の世界が呼んでいる気がして。とても遠く感じたのです。

 

 

とても優しい空間で、人の手が加えられたからこその、美しい庭。

この建物も、人の手の温かさを感じる。

お客様だからこそ、お邪魔してるだけの心地よさ。あぁ、綺麗だなぁと客観的にだけ感じる美しさなのかもしれません。

 

 

 

植物と向き合うって、結構しんどい時があるし、それが通りすがりじゃなくて毎日の生活の中にしっかりあったりすると。やっぱり人間て毎日完璧じゃいられないし、できない日もあったりするわけで。

それをやんわり正してくれたり、枯れてみせてくれたりするのも、植物だったりして。

ここでは、植物と人間の距離というか、関係がとても近いように感じました。

 

 

晴れたので町歩き。

結構廃墟ぎりぎりのおうちや、廃墟もあったりする、田舎の村。

過疎化とか、そういう言葉で片付けられるような感じじゃなくて。

人間が「きちんと」生きていくのって、一人の力では限界があるんだと思う。

 

 

こんな、時代劇みたいな街並みがずーっと続いていく。

車で数十分走れば近代的な建物が多いのだけど、この集落は守られている。

建物なんて壊してしまって普通の家を建てたほうが「経済的」なのはみんな知ってて。

そうしない理由がここにはきちんとあるし、ない人は出て行く。

 

 

かなりの年代を感じる郵便受け。椿の彫り物の色がほとんど消えてしまって。

もともとは鮮やかな色だったのかな、と思う。

 

 

子供の頃に遊びに行った祖母の家の奥のほうにもこういうお寺があって。こっちのほうが断然立派だけど。

綺麗な川に草木がぼうぼうしているのが、とても懐かしい。

 

 

塀にでんでん虫。

東京ではあまり見なくなったけど、雨上がりでものすごくたくさんいました。

ふかふかの苔が陽をあびて気持ちよさそう。

気持ちが沈んでいても、光を見て美しいと思うのなら、それはまだ大丈夫なのかもしれない。

 

 

見上げるとムクゲの真っ白な花。

雲間から一瞬光が射して、思わずカメラを向ける。

この次の瞬間には光は消えてしまったのだけど、この瞬間にシャッターを押せたことに自分は意味があるんだと思う。

 

写真を撮る時って、どうしても自分勝手な視野になりがちで。

「うまく撮ってやろう」とか「光を配置するには」とか「ボケを考えてみよう」とか。
そういうのって、全部自分のエゴなんだと思う。
「写真」には必要だけど、美しさ自体はそういうことではないと思うから。
今、この光を見た瞬間の自分の救われた気持ちが、写っててよかったな、と思う。
難しいけど。難しいから、いいな、と思う。

 

 

下を見れば赤い実が川面に輝くようになっていて。
さっきの大雨で水が濁っていて、綺麗な風景ではないのだけど、なんだかとても神々しい光に見えて。
呆然と、その美しさに対峙した時に、その美しさをそのまま許容したいと考えていた気がする。
水の音は心地良いし、光は気持ち良いし。
でも、自分の心は晴れない。
それでいいから、写真を撮ろう、と思った日。

 

 

 

雑草がぼうぼうの神社に龍がいて、鳴き声を聞いたら元気そうでなにより。
木で出来た雨戸の隙間の光がちょっと夜を思わせる。

 

 

夕方になって、お宿に到着。
本日のお宿は他郷阿部家。写真は宿泊したお部屋ではありませんが、お見せ頂いたパッチワークのガラス窓。

 

 

ちょうど夕暮れ時だったので、薄蒼が美しい。
古い硝子をつむいで窓にしています。

 

 

これはお風呂。
がらん、としていて外に面しています。

 

お宿自体の写真はHPにもたくさんあるし、美しさを切り取る作業をする気持ちにはなれなかったので、この辺で。
陽があるうちにお風呂をいただき、真っ赤な蝋燭を眺めました。

 

 

仄暗いお屋敷の中をひたひたと歩くには心地よく。
ちょっと、遠い世界にやってきてしまったな、と思います。

 

続きます。

 


凪家の夏休み。

実はBLOGではお久しぶりに記事にします。凪家のこと。

桐島の幼じみの、りあ姫と凪くんの「凪家」のこと。

前回の撮影を記事にしていないのですがphotobackをこっそり公開。第一王子の七五三です。

 

そして、今回は夏休み。毎回桐島に声をかけてくれる優しい凪家。
年末に会えなかったので嬉しいなぁ。

 

 

お久しぶりー。でもういたずら中。笑
第二王子のA王子です。なんか半年ぶりで、「子供」らしくなっている感。

 

 

桐島の鞄からヘッドフォンを出して、つけてみた。(勝手にww)
かわいいので良いよ…。笑

 

 

親戚に会うたびに「でかくなったなぁ〜」と言われ続けて「そんなに変わってないし」とか思っていたけど、いや半年くらい会わないとすんごい変わる。変わってるって。
親戚的なポジションの桐島。笑

 

 

第一王子R。みてください。この風格。笑
あー。もう来年小学生かぁ〜〜。ってしみじみしちゃう。

 

 

シャッターチャンスをくれるところは変わらず。笑
いい被写体っぷりは両親ゆずりなのです。

 

 

桐島のiPhoneをチェックするR王子。
「あのさー。ナオは、今なんのゲームやってんの?」で、「星ドラやってんの」「え?なに??」「星のドラゴンクエスト。やる?」「うん…やる」で、やり始める王子。
両親ゲームやるし家族だいたいゲームやる家なので、なんでもとっつくのが早い。
で、A王子も隣で必死にスマホをいじっている。

 

 

おにーちゃんがやっているのを、やりたい。
人がやっているのを、やりたい。
そんなA王子。好奇心旺盛っていうか、マイロード。

 

 

でもね、「じゅんばん」って言われてこうして食いついてみるくらいに成長しました。
「やーーーーーー!!」って大泣きして暴れることもちょっと減り(今もまだ割とあるけど)、勉強していくんだなぁって。
R王子は来年小学生、A王子は来年幼稚園。

 

 

そして、そして、第一王女のおひろめなのです。
命名式に関してはまぁ、いろいろあって。いろいろありすぎて(笑)ちょっとここには書けないんですけど。
運命って言葉が存在している以上、これ以上はないってくらいに色んなものが、星図のように紡いだ名前。

 

 

第一王女、Sさまです。
健やかに健やかに成長しておいでです。

 

 

凪くんのこのふぬけた嬉しそうな笑顔!
もちろんね、R王子の時もだいぶダメだったしA王子の時も嬉しそうだったのですが。
女子のパパはダメですね。笑

 

 

ちょうどいいお顔の時に一眼を持っていなかったのだけど、その場を離れるのが嫌で。
スマホですが、超美麗なお顔。クッキリ二重が、りあ姫似ですな。

 

 

わらったーーー!かわいいーーー!!
で、ずっと遊べる桐島。いや、ほんといいにおい。かわいい。。。
(勝手にS王女の服を島根でも買ったので今度会う時にもらってください…)

 

 

冷ややかな目線はマリィさま。
もっちり系丸顔の猫。かわゆし。

 

 

こちらはほぼご隠居中のみやびさま。
珍しく出てきてくれて、1枚だけ撮れた写真。なんか、ずーっとりあちゃんちにいるイメージ。
動物は早く年をとる、って頭でわかっているけど現実で受け止めきれていない気がする。

 

 

夕方になって雨が小雨になってきたので、凪くんがBBQの準備をしてくれています!
ずっと前にもさくまくんと4人でBBQしたよなぁ〜とか、懐かしいおはなし。

 

 

R王子が超ウマソーセージをもう食いつつ(桐島も食べてるけど)お手伝い的な監督。

 

 

もー。この笑顔。いいよね。安心する。
ほんと、凪くん好き。

 

 

しかも、っていうか当たり前だけど、めっちゃ美味い。
このしいたけが美味かったなぁ〜。(思い出しじゅるり)
凪くんちに来るといろいろ優しくてじんわりします。っていうか、くつろぎすぎです…。

 

 

イエーイ!乾杯〜!!!

 

こうして3人でわいわい囲めるのって幸せだなぁ。

 

 

おぉっ。箸の持ち方がうまいねーー!!とか、言ったりして。

 

R王子は桐島の暮らしを心配してくれたりして。なんかもう、気持ちがいっぱい。
「ナオはさー、ひとりですんでるの?けっこん、しないの?」「さみしくないの?」「かぞくはいないの?」
「さみしかったら、うちに来ていいからね。みんないるからね。お風呂入っていいからね」って。
ありがとね。うれしいね。

 

 

暮らしの中で「寂しい」と思ったことはないから大丈夫だけど、R王子がそう言うなら遊びきてもいいかな?って返すと嬉しそうに笑う。
そう言ってくれる人がいるのは幸せだね。
R王子の中で社会ってものが見えてきて、色々感じてきているんだなぁってしみじみしました。
まぁ、会うたびに髪の毛の色が違う変な大人みたいな、ぶん投げて遊んでくれる「ナオ」でしかないと思うけど。笑

 

 

空手を始めたんだ!って。
型を見せてくれて、超カッコ良く撮れた1枚。ほんと、一瞬の真剣な目。
武道はね、いいよ。ちゃんとやっておくと、いいと思う。

 

 

積もるお話しをしたり、しなかったり、凪くんも色々準備とか気遣ってくれたりとか、ありがとう。
焼きおにぎり凪SPが美味すぎてお腹いっぱいなのに2つも食べてしまった…。。。笑

 

会って、お話しして、笑顔で一緒にご飯を食べて過ごす仲間っていうのは本当に貴重で。
仲良くしてくれて、ありがとう。って思います。

 

夢みたいな旅行の計画とか(笑)なんか、ほんとに一緒に行けたらいいな。
実現するために頑張ります。
本当にありがとう。素敵な夏休みでした。

 

 


2017年度、金魚の会。

 

毎年恒例、年に1回の逢瀬、とーきちゃん。

(個人的にはもうちょっと逢いたい気持ちはあるんだけど。笑)

 

以下思考記録含む日記なので、写真だけでもいいかもしれません。

 

 

去年は金魚の聖地、奈良の大和郡山に行ってきて、その前の2014年は同じく日本橋
その前は2010年の金魚イベント。その前の2009年も同じイベント
金魚のみのアートアクアリウムの前の、スカイアクアリウムの第一回目が2007年で。そこから東京のは全部見に行っているなら、10年目くらいになるわけで。

 

 

金魚=鑑賞するもの、という図式がまたメジャーになってきて。
金魚たちには良いのか悪いのか。
もともとは江戸時代から続く改良観賞魚で。入ってきたのは中国だけどもね。
江戸錦とか桜錦とか東錦とか日本ならではの改良品種もあって。

 

 

毎回思ってしまうけど。
金魚って奇形に奇形を重ねた、弱い魚だから。
泳ぎが上手くないしすぐ病気になって死んでしまう。

 

 

アートアクアリウムは金魚に対してものすごーーーく気を使っているとか聞いたことがあって、まぁ、それはもちろん嘘ではないだろうし気を使っているし丁寧に扱っていると思うのだけど。
今回展示されている超でっかい水盆の金魚たちは、かなりなストレスだろうなぁ、と。

 

 

いやいや、でもそんなことを考えていたらなんでここに来るんだよ、とか突っ込んだりして。
そもそも可哀想だと思うなら金魚を愛でること自体が可哀想じゃないか?って。ぐるぐるしながら、眺める毎度のイベント。
切子硝子と金魚のコラボがすごく美しかったのです。

 

そうなのです。金魚はただ、ただ、美しい生き物なんです。
自分の思考の矛盾なんか軽く消えてしまうような、美しさ。

 

 

この九谷焼きの中に金魚がいて、それはもう素晴らしいんです。
器自体も素敵で。

 

 

金魚って、存在自体が倫理的に間違っていて。
ただ、美しくあるために貌を歪められて苦痛を与えられて生きているだけの、宝石。
なんでこんなに美しいんだろう、って思ってしまう。

 

 

循環式の器なので静かに滑らかに水が動いています。
よく考えられていて見た目もきれいなんです。これはすごい。
切子も九谷も素晴らしい出来栄え。そこに入っている金魚も、これは何年ものかなぁ、という個体ばかり。

 

 

特に気になったのが青文ぽい右の子。
らんちゅう型なんですけど尾が長い!
ふわふわ、ひらひら、美しくて。うちにいた子を思い出します。

 

 

金魚はね、ほんとに美しくて。
その美しさは業でしかなくて、ただひたすら鑑賞のためのものでしかなくて。
金魚の里と言われる場所で見た数々の光景もかなりショックだったのだけど、人間が「見る」ためだけに作られた命なんだって。そう思います。

 

 

それが良いことなわけないけど、倫理ってその時代を写し取ってなぞっているだけで。
今の日本でいうなら、魚類は動物愛護法には関係ないという。

 

そういうんじゃなくて、単に自分が、どう思うか?ってこと。

 

 

だからこそ、難しい。
可哀想だとか可哀想じゃないとか、そういうのを超越して、ただ、ただ、美しいと思ってしまう。
その美しさは人間のエゴが作り上げた貌で。
それを知った時心が冷えたようにびっくりしたのだけど。
この美しさを「作れる」のだと聞いてまた心が冷える。

 

 

金魚を「作る」って文字通り金魚に手を加えるんですけど。
それが数年単位じゃなくて数百年とか国家レベルでやっていることだったりして。
美しさに魅入られた人たちが、金魚をもっと美しくしようとしてしてきた行為の結果を自分は見ているというなんだか不思議な感覚になるんです。

 

 

展示方法もいろいろ意見はあるし見方もあるけど、惚けて見てしまうという事だけを抽出すれば、金魚の本来の「使い方」なわけで。

江戸時代に畳ではなく下に水を張って金魚を泳がせて涼をとったように。

夏に金魚を見て涼をとるのは、この魚を見る本質でもあるのかな、とか。

 

 

漠然と、全体を「アート」としてみるとあぁ、美しいなと思うのですが。
意識を一匹に向けると、そうしたらいいか分からなくなります。
これは生き物。

 

 

じゃぁ、自分がどうしたいか?というと、それもまたわからない。
ただ、美しいと思ってしまう、魔法のような感覚。

 

金魚はその美しさで国を傾けたこともあるとか。
まるで美女のような存在。

 

善悪の感覚さえおかしくなる美しさ、それが金魚の本質なんじゃないかと。
思いながら少しだけ撮影してきました。

 

 

そして。有楽町、三菱一号館。ちょいとぶり。
ここでディナーを食べてのんびりしていたのですが。
カフェとお手洗いを繋ぐ通路の映り込みがあまりに気になって、カメラを持って行きました。

 

溶ける意識のような、混ざった思考。
多重っぽいですけど1枚。

 

 

硝子の向こうの黒い自分が手をガクガクと、差し出して引っ張り込もうとするけど。
それを呆然と見ているような。
自分の目と思考が少し離れているような錯覚。

 

 

そのあと、国際フォーラムのお散歩をしたりして。
夜を楽しんだのでした。

 

 

さくま、きりしま。ずいぶん遠くまでやってきた気がします。
とーきちゃんとも一緒に仲良くできて嬉しい。

 

いろいろ考えたけど、自分はとても恵まれていて、結構幸せで、適当に生きていて。
それで、写真を撮ったり。考えたりして。
見れる貌でありたいな、と思ったりしました。

 

ありがとう。

 

 


変わるという事、変わらないという事@錺屋&月屋

 

京都のお宿、といえば錺屋月屋さん。

「お宿」なんて言い方よりも、自分が帰る場所になっています。

 

朝6時過ぎくらいに聞こえた自転車を止める音と、静かに玄関を開ける音。
なんか女将な気がして。笑

 

 

月屋さんはB&Bなので朝ごはんがついてくるのです。体に優しい旬の和食。
ひとつひとつ女将が準備してくれるのを、眺めていました。

 

 

こうして、女将が朝ごはんを作ってくれるのを、見ながら写真を撮っている時間が。
なんとも言葉にできないくらいの幸せで。
あぁ、京都に来て良かったなぁ、としんみりしてしまいました。

 

 

幸せなのにしんみりするのはおかしいかもしれないけど。
時間が過ぎていくということは、ずっと同じままじゃいられなくて。
変化していくということは、変わっていくということもあるから。
大好きな場所が増えたり、進化していくことはとても嬉しいのだけど。
その時のその瞬間は、今しかないんだって。思うようになりました。

 

 

さくまくんが作ってくれたお部屋の案内の用紙。
当たり前だけど、このメンバーでこの場所にくることはこれでもうないかもしれないし。
女将の作ってくれた美味しい朝ごはんを食べながら(寝起きのさくまくんを見つつ)しんみり。

 

 

この場所はフィルムで撮りたくなるんです。
ペンタコちゃんは自分で撮影する場所を選ぶような時があって。
翌日月屋さんに行った時は「僕で撮って」って言ってるみたいだったので、フィルムだけで撮影しました。

 

 

これもまだ、月屋さんの。
このタイルたちや鏡や床はもちろん壁も何もかも。女将たちが大事に作ったものだって知ってるけど、その前の前に住んでた人が愛していた家っていうのも知ってて。
そうして月日を重ねて、過ごしてきた場所で寛いでいるっていうのも不思議な状況。

 

 

ここから、錺屋さん。なんども撮影しているこの廊下。

初めて来た時のことを今でも覚えている。今にも緑が溶けてゆきそうな美しい映り込み。

 

 

錺屋さんて赤のイメージなんだけど、この焼き物の風鈴は青で正解だと思う。

この心地よい窓辺に本当によく似合う。

風が寄り道する感じの縁側なんだよね。通り抜けるんじゃなくて。

 

 

女将のお話を聞きながら、こうして被写体を眺めているだけでなんだか懐かしい気分になる。

建物や静物は変わらないくせに、人間はどんどん変わっていったり、変わらなかったり。忙しいね。

 

 

ここにくれば女将の笑顔が見れる、ってそんな当たり前だけどとても素敵なことが嬉しすぎて。

去年突然ランチに誘った時に錺屋に電話したら、なんで女将のラインとか知らないんですかとか言われて。笑

ここに電話すれば女将につながるかなーって。そんな小学生みたいな発想。

 

 

ここに来れば、この人に会える。って、すごく恵まれていると思うし、そういう人がいることで救われている自分がいて。

女将もいろいろあると思うのに、会うとちゃんといつもの女将で歓迎してくれることがとても嬉しくて。

お宿に来ている、なんてことを忘れて(笑)女将に会いに、来てしまうのです。

 

 

なんか、いろいろあるけどね。

また次も笑って会えたらいいね、っていつもそう思います。

岡山から、夜中に会いに来てくれたミナモくんも、本当にありがとう。

 

会いたい人がいる、って素敵なこと。

その時間を共有することが出来て本当に嬉しかった。

また会える時までにもうちょっと、よりよく居られるように頑張ります。

 

次は冬かなぁ。

楽しみです。ありがとうございました。

 

 

 

 



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