Viridianblueの森の中で@aria

 

ariaを撮らせてください。と、一年ぶりのお願い。

 

溶け合うようなずるずるした雰囲気で、陰鬱な、隠者のような、探し物をしているような。

でも、暗がりの中で惚けているような。

 

 

たぶん、共有している世界は言葉にするなら、そんな感じで。

何があったとかは、お互いにあまり聞かないけど。撮影前のお互いの精神イメージというか、落ちている部分の深度がちょっと似ているかなぁ、と思ったので。

自分の心象そのままに、撮らせて貰いました。

 

 

掴みたいわけじゃないけど、最後の一粒みたいに思えて。

でも、実は、求めているのは光じゃなくて、雫だったのかもしれない。

 

 

触れたら壊れてしまう。

求めているわけじゃないし、欲しいわけじゃなくて。

ただ、それは綺麗なものだとは、思う。

 

 

大切にしている温度、熱、質感、とか。

そういうのを、撮らせて貰っている感覚。

 

ariaと、絵の話しが出来るのがとても嬉しくて。

なぜか思っている事が同じだったりして。

目の前にキャンバスがないけど、まるで一緒に絵を描いているような感覚になったりして。

 

 

雨音が聞こえる中、透明な光と遊ぶ。

そんな強い光はいらなくて。少しだけ。

 

 

繊細な星がきれいで。可愛いとかじゃなくて、とてもきれい。

星を集めたらこんな星図になりそう。

雨の蒼が写り込んだ黒が、天幕の紺色になる。

 

 

その、先を求めるような気持ちはあるけど、今は「そこにあるもの」を美しく認識出来るように、気をつけて撮影しました。

悲しくて、暗くて、どこにも行けない気持ち。

だけど、美しい、その景色。

 

 

哀しいのと美しいのはちょっと似てる。

あなたのことだとしたら、楽しい毎日がそりゃあ一番にきまっているけれど。

自分には当てはまらないんだなぁって。

たぶん、ariaもそう思ってるはず。

 

 

怒りみたいな強い感情はもう何処かへ消えて流れてしまって、ずっとないけど。

ひたひたと浸み込んで、水張りをした紙へ滲んで消えないような。

そういう感覚を、閉じ込めたいと思った。

 

ariaの心に触れたというわけじゃなくて。心は見せてくれているのだけれどね。

通じ合うわけじゃない。踏み込んでいるわけじゃない。交流しているわけではない。

深度が、少し似ていた、感覚。

 

 

どうしたって消したくない灯りはそのままで。

それが最後の砦のように、自分の心を守ってくれるような。

 

森のにおいと、雨音と、水の音を聞きながら、撮影しました。

とても美しくて、シャッターを押す音さえ聞こえないくらい。

 

この世界でよかった、って。思いました。

aria、撮らせてくれてありがとう。

 

フィルムは現像に出すので、もうちょっと、待ってて。

 

 


存在しないひと。@木桃いつな

 

島根の旅の目的のひとつ。

木桃さんの撮影。撮影する主題とスタイリングだけ決めていて、撮影場所は前日に決定。

朝5時起き、6時から撮影。

まだ、朝の気配がほの仄蒼く残る山陰の朝。

 

 

灯りはつけないで、緩く差し込む朝だけ。

まだあちこちに夜が残っているような濃淡。真っ白なドレスに少し夜が残る。

 

 

白いドレスは薄くて綺麗なリネンでできていて。

お互いが好きなデザイナーさんの作品。

毎回そうだけど、何を撮るかということを話しているうちに、どこへ行きたいのかを決めていくような感覚。

それは会話じゃない時もあるし、言葉でもない時もある。

 

 

美しいと思うからシャッターを押すのであって、「きれい」でも「かわいい」でもないと思う。

「こわい」とか「つめたい」はちょっと似ている。

感覚の共有。

 

 

そこに座っている被写体を撮っているのではなく、お互いの心の中の一部を引きずり出してここに置いたみたいな感覚。

それが何かと言われたら言葉にできないけど、写真にはなっていると思うから不思議。

 

 

かなり、暗いけど、それが良くて。

ざらりとした質感。ファインダーでは真っ黒に近い。

浮かび上がる透明な影と白い足。

 

 

人間の写真を撮っているというか、精神を撮っているという感覚。

ポートレイトではなくて。そんないいものじゃなくて。

彼女の顔を、撮ってるわけではないのです。

 

 

この百合を見た時にものすごく怖くて引き込まれて。目が離せなくなったのは。

植物が持つ命の落ちてゆくさまが、見えたからかもしれない。

雨あがりの美しさと、朝が消えてゆく、かなしさと。

水を含んだ空気が、山百合のけだるさに馴染んで。死の、においみたいだった。

 

 

その百合たちの園に、ふわりと混ざれる存在。

木桃さんは存在しないけど、存在する不思議。

 

あるひとに「このモデルさんは『こう撮られたい』っていう意思がないから、どこでも入れるんだろうね」と言われたことがあって。まさに、そうかも、と。

木桃さんは旅をするひとで、どこにでも行けるんです。でも、どこにも行けない。

 

 

その、線引きみたいなものを、必要とする時があったのかもしれないけど。

なんていうか、だんだんよくわからなくなってくる。

 

表現したいものを形にしていく作業よりも、ただ、脳内の仄暗い蒼い色がずるずると引き剥がされていくような。

 

 

それでも、静かな世界は水の中のようで。

光が少ないからこその、溶け込むような紺色。

 

 

前回の撮影が台湾だったのを思い出して、ちょっと懐かしい。

でも、ここは台湾よりも、パリよりも遠く感じる。

 

 

どこでもない場所というのを探しているわけじゃないし、そういうのを求めているのはもういいと思うけど。

こうして心の中をざくざくと削って洗い出すのは嫌いじゃないし、きれいなものになると思う。

 

 

その、幻のような一瞬に、シャッターを押す指がありますよう。

そのまま消えてもいいような、瞬間の光が、美しかったです。

 

 

木桃いつなさん、被写体ありがとうございました。

 

撮影は他郷阿部家でした。

 

 


真夏の、島根旅。

誘われて、島根県。

数年前にひとりで出雲大社には行ったけど、それっきり。

今回は出雲より南の、山の中の、中。

 

 

石見銀山のお膝元に行ってまいりました。

石見銀山に来たのかというと、そうではないので銀山には行ってないのですが。この土地の緑の色が他の土地の色とは違うのが印象的でした。

 

 

到着して、駅でどしゃぶり。一瞬の隙をついてバスに乗り込むも、霞がかるくらいのどしゃぶり。

同行人が自他共に認める、最凶の雨女と言っているので間違いはないでしょう。。。

 

 

とはいっても、雨の景色が美しいので思わずカメラを向けたくなる。緑の色彩。

日本の森の植物は鉄紺にビリジアンを混ぜて光を当てたような色彩だと思う。美しいけど影がある、水の色。

群言堂本店のカフェでお手洗いに立ったのに、庭があまりに素敵でしばらく帰ってこなかった桐島。

すみません目的が寄り道してしまうと、(精神共に)どこかへ行って帰ってこれなくなります。。。

 

 

お誘い自体は半年以上前にいただいていて、旅はもちろん楽しみにしていたのだけど。
自分自身と周りにいろいろありまして。心が穏やかではないというか、ある意味穏やかにもなったのかもしれないけど。うきうき楽しい心象ではなかったので。
雨の音を聞きながら深い深い緑色を見るのは、とても心地よかったです。

 

 

ランチを食べて、しばらくしたら陽が射してきたのでまたお庭へ。
天井のぶどうの木の木漏れ日がとても優しい。枕木のテーブルの苔たちも喜んでいるよう。

 

 

雨上がりのフィルム。

映り込みの向こう側の世界が呼んでいる気がして。とても遠く感じたのです。

 

 

とても優しい空間で、人の手が加えられたからこその、美しい庭。

この建物も、人の手の温かさを感じる。

お客様だからこそ、お邪魔してるだけの心地よさ。あぁ、綺麗だなぁと客観的にだけ感じる美しさなのかもしれません。

 

 

 

植物と向き合うって、結構しんどい時があるし、それが通りすがりじゃなくて毎日の生活の中にしっかりあったりすると。やっぱり人間て毎日完璧じゃいられないし、できない日もあったりするわけで。

それをやんわり正してくれたり、枯れてみせてくれたりするのも、植物だったりして。

ここでは、植物と人間の距離というか、関係がとても近いように感じました。

 

 

晴れたので町歩き。

結構廃墟ぎりぎりのおうちや、廃墟もあったりする、田舎の村。

過疎化とか、そういう言葉で片付けられるような感じじゃなくて。

人間が「きちんと」生きていくのって、一人の力では限界があるんだと思う。

 

 

こんな、時代劇みたいな街並みがずーっと続いていく。

車で数十分走れば近代的な建物が多いのだけど、この集落は守られている。

建物なんて壊してしまって普通の家を建てたほうが「経済的」なのはみんな知ってて。

そうしない理由がここにはきちんとあるし、ない人は出て行く。

 

 

かなりの年代を感じる郵便受け。椿の彫り物の色がほとんど消えてしまって。

もともとは鮮やかな色だったのかな、と思う。

 

 

子供の頃に遊びに行った祖母の家の奥のほうにもこういうお寺があって。こっちのほうが断然立派だけど。

綺麗な川に草木がぼうぼうしているのが、とても懐かしい。

 

 

塀にでんでん虫。

東京ではあまり見なくなったけど、雨上がりでものすごくたくさんいました。

ふかふかの苔が陽をあびて気持ちよさそう。

気持ちが沈んでいても、光を見て美しいと思うのなら、それはまだ大丈夫なのかもしれない。

 

 

見上げるとムクゲの真っ白な花。

雲間から一瞬光が射して、思わずカメラを向ける。

この次の瞬間には光は消えてしまったのだけど、この瞬間にシャッターを押せたことに自分は意味があるんだと思う。

 

写真を撮る時って、どうしても自分勝手な視野になりがちで。

「うまく撮ってやろう」とか「光を配置するには」とか「ボケを考えてみよう」とか。
そういうのって、全部自分のエゴなんだと思う。
「写真」には必要だけど、美しさ自体はそういうことではないと思うから。
今、この光を見た瞬間の自分の救われた気持ちが、写っててよかったな、と思う。
難しいけど。難しいから、いいな、と思う。

 

 

下を見れば赤い実が川面に輝くようになっていて。
さっきの大雨で水が濁っていて、綺麗な風景ではないのだけど、なんだかとても神々しい光に見えて。
呆然と、その美しさに対峙した時に、その美しさをそのまま許容したいと考えていた気がする。
水の音は心地良いし、光は気持ち良いし。
でも、自分の心は晴れない。
それでいいから、写真を撮ろう、と思った日。

 

 

 

雑草がぼうぼうの神社に龍がいて、鳴き声を聞いたら元気そうでなにより。
木で出来た雨戸の隙間の光がちょっと夜を思わせる。

 

 

夕方になって、お宿に到着。
本日のお宿は他郷阿部家。写真は宿泊したお部屋ではありませんが、お見せ頂いたパッチワークのガラス窓。

 

 

ちょうど夕暮れ時だったので、薄蒼が美しい。
古い硝子をつむいで窓にしています。

 

 

これはお風呂。
がらん、としていて外に面しています。

 

お宿自体の写真はHPにもたくさんあるし、美しさを切り取る作業をする気持ちにはなれなかったので、この辺で。
陽があるうちにお風呂をいただき、真っ赤な蝋燭を眺めました。

 

 

仄暗いお屋敷の中をひたひたと歩くには心地よく。
ちょっと、遠い世界にやってきてしまったな、と思います。

 

続きます。

 


凪家の夏休み。

実はBLOGではお久しぶりに記事にします。凪家のこと。

桐島の幼じみの、りあ姫と凪くんの「凪家」のこと。

前回の撮影を記事にしていないのですがphotobackをこっそり公開。第一王子の七五三です。

 

そして、今回は夏休み。毎回桐島に声をかけてくれる優しい凪家。
年末に会えなかったので嬉しいなぁ。

 

 

お久しぶりー。でもういたずら中。笑
第二王子のA王子です。なんか半年ぶりで、「子供」らしくなっている感。

 

 

桐島の鞄からヘッドフォンを出して、つけてみた。(勝手にww)
かわいいので良いよ…。笑

 

 

親戚に会うたびに「でかくなったなぁ〜」と言われ続けて「そんなに変わってないし」とか思っていたけど、いや半年くらい会わないとすんごい変わる。変わってるって。
親戚的なポジションの桐島。笑

 

 

第一王子R。みてください。この風格。笑
あー。もう来年小学生かぁ〜〜。ってしみじみしちゃう。

 

 

シャッターチャンスをくれるところは変わらず。笑
いい被写体っぷりは両親ゆずりなのです。

 

 

桐島のiPhoneをチェックするR王子。
「あのさー。ナオは、今なんのゲームやってんの?」で、「星ドラやってんの」「え?なに??」「星のドラゴンクエスト。やる?」「うん…やる」で、やり始める王子。
両親ゲームやるし家族だいたいゲームやる家なので、なんでもとっつくのが早い。
で、A王子も隣で必死にスマホをいじっている。

 

 

おにーちゃんがやっているのを、やりたい。
人がやっているのを、やりたい。
そんなA王子。好奇心旺盛っていうか、マイロード。

 

 

でもね、「じゅんばん」って言われてこうして食いついてみるくらいに成長しました。
「やーーーーーー!!」って大泣きして暴れることもちょっと減り(今もまだ割とあるけど)、勉強していくんだなぁって。
R王子は来年小学生、A王子は来年幼稚園。

 

 

そして、そして、第一王女のおひろめなのです。
命名式に関してはまぁ、いろいろあって。いろいろありすぎて(笑)ちょっとここには書けないんですけど。
運命って言葉が存在している以上、これ以上はないってくらいに色んなものが、星図のように紡いだ名前。

 

 

第一王女、Sさまです。
健やかに健やかに成長しておいでです。

 

 

凪くんのこのふぬけた嬉しそうな笑顔!
もちろんね、R王子の時もだいぶダメだったしA王子の時も嬉しそうだったのですが。
女子のパパはダメですね。笑

 

 

ちょうどいいお顔の時に一眼を持っていなかったのだけど、その場を離れるのが嫌で。
スマホですが、超美麗なお顔。クッキリ二重が、りあ姫似ですな。

 

 

わらったーーー!かわいいーーー!!
で、ずっと遊べる桐島。いや、ほんといいにおい。かわいい。。。
(勝手にS王女の服を島根でも買ったので今度会う時にもらってください…)

 

 

冷ややかな目線はマリィさま。
もっちり系丸顔の猫。かわゆし。

 

 

こちらはほぼご隠居中のみやびさま。
珍しく出てきてくれて、1枚だけ撮れた写真。なんか、ずーっとりあちゃんちにいるイメージ。
動物は早く年をとる、って頭でわかっているけど現実で受け止めきれていない気がする。

 

 

夕方になって雨が小雨になってきたので、凪くんがBBQの準備をしてくれています!
ずっと前にもさくまくんと4人でBBQしたよなぁ〜とか、懐かしいおはなし。

 

 

R王子が超ウマソーセージをもう食いつつ(桐島も食べてるけど)お手伝い的な監督。

 

 

もー。この笑顔。いいよね。安心する。
ほんと、凪くん好き。

 

 

しかも、っていうか当たり前だけど、めっちゃ美味い。
このしいたけが美味かったなぁ〜。(思い出しじゅるり)
凪くんちに来るといろいろ優しくてじんわりします。っていうか、くつろぎすぎです…。

 

 

イエーイ!乾杯〜!!!

 

こうして3人でわいわい囲めるのって幸せだなぁ。

 

 

おぉっ。箸の持ち方がうまいねーー!!とか、言ったりして。

 

R王子は桐島の暮らしを心配してくれたりして。なんかもう、気持ちがいっぱい。
「ナオはさー、ひとりですんでるの?けっこん、しないの?」「さみしくないの?」「かぞくはいないの?」
「さみしかったら、うちに来ていいからね。みんないるからね。お風呂入っていいからね」って。
ありがとね。うれしいね。

 

 

暮らしの中で「寂しい」と思ったことはないから大丈夫だけど、R王子がそう言うなら遊びきてもいいかな?って返すと嬉しそうに笑う。
そう言ってくれる人がいるのは幸せだね。
R王子の中で社会ってものが見えてきて、色々感じてきているんだなぁってしみじみしました。
まぁ、会うたびに髪の毛の色が違う変な大人みたいな、ぶん投げて遊んでくれる「ナオ」でしかないと思うけど。笑

 

 

空手を始めたんだ!って。
型を見せてくれて、超カッコ良く撮れた1枚。ほんと、一瞬の真剣な目。
武道はね、いいよ。ちゃんとやっておくと、いいと思う。

 

 

積もるお話しをしたり、しなかったり、凪くんも色々準備とか気遣ってくれたりとか、ありがとう。
焼きおにぎり凪SPが美味すぎてお腹いっぱいなのに2つも食べてしまった…。。。笑

 

会って、お話しして、笑顔で一緒にご飯を食べて過ごす仲間っていうのは本当に貴重で。
仲良くしてくれて、ありがとう。って思います。

 

夢みたいな旅行の計画とか(笑)なんか、ほんとに一緒に行けたらいいな。
実現するために頑張ります。
本当にありがとう。素敵な夏休みでした。

 

 


2017年度、金魚の会。

 

毎年恒例、年に1回の逢瀬、とーきちゃん。

(個人的にはもうちょっと逢いたい気持ちはあるんだけど。笑)

 

以下思考記録含む日記なので、写真だけでもいいかもしれません。

 

 

去年は金魚の聖地、奈良の大和郡山に行ってきて、その前の2014年は同じく日本橋
その前は2010年の金魚イベント。その前の2009年も同じイベント
金魚のみのアートアクアリウムの前の、スカイアクアリウムの第一回目が2007年で。そこから東京のは全部見に行っているなら、10年目くらいになるわけで。

 

 

金魚=鑑賞するもの、という図式がまたメジャーになってきて。
金魚たちには良いのか悪いのか。
もともとは江戸時代から続く改良観賞魚で。入ってきたのは中国だけどもね。
江戸錦とか桜錦とか東錦とか日本ならではの改良品種もあって。

 

 

毎回思ってしまうけど。
金魚って奇形に奇形を重ねた、弱い魚だから。
泳ぎが上手くないしすぐ病気になって死んでしまう。

 

 

アートアクアリウムは金魚に対してものすごーーーく気を使っているとか聞いたことがあって、まぁ、それはもちろん嘘ではないだろうし気を使っているし丁寧に扱っていると思うのだけど。
今回展示されている超でっかい水盆の金魚たちは、かなりなストレスだろうなぁ、と。

 

 

いやいや、でもそんなことを考えていたらなんでここに来るんだよ、とか突っ込んだりして。
そもそも可哀想だと思うなら金魚を愛でること自体が可哀想じゃないか?って。ぐるぐるしながら、眺める毎度のイベント。
切子硝子と金魚のコラボがすごく美しかったのです。

 

そうなのです。金魚はただ、ただ、美しい生き物なんです。
自分の思考の矛盾なんか軽く消えてしまうような、美しさ。

 

 

この九谷焼きの中に金魚がいて、それはもう素晴らしいんです。
器自体も素敵で。

 

 

金魚って、存在自体が倫理的に間違っていて。
ただ、美しくあるために貌を歪められて苦痛を与えられて生きているだけの、宝石。
なんでこんなに美しいんだろう、って思ってしまう。

 

 

循環式の器なので静かに滑らかに水が動いています。
よく考えられていて見た目もきれいなんです。これはすごい。
切子も九谷も素晴らしい出来栄え。そこに入っている金魚も、これは何年ものかなぁ、という個体ばかり。

 

 

特に気になったのが青文ぽい右の子。
らんちゅう型なんですけど尾が長い!
ふわふわ、ひらひら、美しくて。うちにいた子を思い出します。

 

 

金魚はね、ほんとに美しくて。
その美しさは業でしかなくて、ただひたすら鑑賞のためのものでしかなくて。
金魚の里と言われる場所で見た数々の光景もかなりショックだったのだけど、人間が「見る」ためだけに作られた命なんだって。そう思います。

 

 

それが良いことなわけないけど、倫理ってその時代を写し取ってなぞっているだけで。
今の日本でいうなら、魚類は動物愛護法には関係ないという。

 

そういうんじゃなくて、単に自分が、どう思うか?ってこと。

 

 

だからこそ、難しい。
可哀想だとか可哀想じゃないとか、そういうのを超越して、ただ、ただ、美しいと思ってしまう。
その美しさは人間のエゴが作り上げた貌で。
それを知った時心が冷えたようにびっくりしたのだけど。
この美しさを「作れる」のだと聞いてまた心が冷える。

 

 

金魚を「作る」って文字通り金魚に手を加えるんですけど。
それが数年単位じゃなくて数百年とか国家レベルでやっていることだったりして。
美しさに魅入られた人たちが、金魚をもっと美しくしようとしてしてきた行為の結果を自分は見ているというなんだか不思議な感覚になるんです。

 

 

展示方法もいろいろ意見はあるし見方もあるけど、惚けて見てしまうという事だけを抽出すれば、金魚の本来の「使い方」なわけで。

江戸時代に畳ではなく下に水を張って金魚を泳がせて涼をとったように。

夏に金魚を見て涼をとるのは、この魚を見る本質でもあるのかな、とか。

 

 

漠然と、全体を「アート」としてみるとあぁ、美しいなと思うのですが。
意識を一匹に向けると、そうしたらいいか分からなくなります。
これは生き物。

 

 

じゃぁ、自分がどうしたいか?というと、それもまたわからない。
ただ、美しいと思ってしまう、魔法のような感覚。

 

金魚はその美しさで国を傾けたこともあるとか。
まるで美女のような存在。

 

善悪の感覚さえおかしくなる美しさ、それが金魚の本質なんじゃないかと。
思いながら少しだけ撮影してきました。

 

 

そして。有楽町、三菱一号館。ちょいとぶり。
ここでディナーを食べてのんびりしていたのですが。
カフェとお手洗いを繋ぐ通路の映り込みがあまりに気になって、カメラを持って行きました。

 

溶ける意識のような、混ざった思考。
多重っぽいですけど1枚。

 

 

硝子の向こうの黒い自分が手をガクガクと、差し出して引っ張り込もうとするけど。
それを呆然と見ているような。
自分の目と思考が少し離れているような錯覚。

 

 

そのあと、国際フォーラムのお散歩をしたりして。
夜を楽しんだのでした。

 

 

さくま、きりしま。ずいぶん遠くまでやってきた気がします。
とーきちゃんとも一緒に仲良くできて嬉しい。

 

いろいろ考えたけど、自分はとても恵まれていて、結構幸せで、適当に生きていて。
それで、写真を撮ったり。考えたりして。
見れる貌でありたいな、と思ったりしました。

 

ありがとう。

 

 


変わるという事、変わらないという事@錺屋&月屋

 

京都のお宿、といえば錺屋月屋さん。

「お宿」なんて言い方よりも、自分が帰る場所になっています。

 

朝6時過ぎくらいに聞こえた自転車を止める音と、静かに玄関を開ける音。
なんか女将な気がして。笑

 

 

月屋さんはB&Bなので朝ごはんがついてくるのです。体に優しい旬の和食。
ひとつひとつ女将が準備してくれるのを、眺めていました。

 

 

こうして、女将が朝ごはんを作ってくれるのを、見ながら写真を撮っている時間が。
なんとも言葉にできないくらいの幸せで。
あぁ、京都に来て良かったなぁ、としんみりしてしまいました。

 

 

幸せなのにしんみりするのはおかしいかもしれないけど。
時間が過ぎていくということは、ずっと同じままじゃいられなくて。
変化していくということは、変わっていくということもあるから。
大好きな場所が増えたり、進化していくことはとても嬉しいのだけど。
その時のその瞬間は、今しかないんだって。思うようになりました。

 

 

さくまくんが作ってくれたお部屋の案内の用紙。
当たり前だけど、このメンバーでこの場所にくることはこれでもうないかもしれないし。
女将の作ってくれた美味しい朝ごはんを食べながら(寝起きのさくまくんを見つつ)しんみり。

 

 

この場所はフィルムで撮りたくなるんです。
ペンタコちゃんは自分で撮影する場所を選ぶような時があって。
翌日月屋さんに行った時は「僕で撮って」って言ってるみたいだったので、フィルムだけで撮影しました。

 

 

これもまだ、月屋さんの。
このタイルたちや鏡や床はもちろん壁も何もかも。女将たちが大事に作ったものだって知ってるけど、その前の前に住んでた人が愛していた家っていうのも知ってて。
そうして月日を重ねて、過ごしてきた場所で寛いでいるっていうのも不思議な状況。

 

 

ここから、錺屋さん。なんども撮影しているこの廊下。

初めて来た時のことを今でも覚えている。今にも緑が溶けてゆきそうな美しい映り込み。

 

 

錺屋さんて赤のイメージなんだけど、この焼き物の風鈴は青で正解だと思う。

この心地よい窓辺に本当によく似合う。

風が寄り道する感じの縁側なんだよね。通り抜けるんじゃなくて。

 

 

女将のお話を聞きながら、こうして被写体を眺めているだけでなんだか懐かしい気分になる。

建物や静物は変わらないくせに、人間はどんどん変わっていったり、変わらなかったり。忙しいね。

 

 

ここにくれば女将の笑顔が見れる、ってそんな当たり前だけどとても素敵なことが嬉しすぎて。

去年突然ランチに誘った時に錺屋に電話したら、なんで女将のラインとか知らないんですかとか言われて。笑

ここに電話すれば女将につながるかなーって。そんな小学生みたいな発想。

 

 

ここに来れば、この人に会える。って、すごく恵まれていると思うし、そういう人がいることで救われている自分がいて。

女将もいろいろあると思うのに、会うとちゃんといつもの女将で歓迎してくれることがとても嬉しくて。

お宿に来ている、なんてことを忘れて(笑)女将に会いに、来てしまうのです。

 

 

なんか、いろいろあるけどね。

また次も笑って会えたらいいね、っていつもそう思います。

岡山から、夜中に会いに来てくれたミナモくんも、本当にありがとう。

 

会いたい人がいる、って素敵なこと。

その時間を共有することが出来て本当に嬉しかった。

また会える時までにもうちょっと、よりよく居られるように頑張ります。

 

次は冬かなぁ。

楽しみです。ありがとうございました。

 

 

 

 


真夏の京都ぷらぷら。

 

8月の京都。一年ぶりです。

PhotoCafeの撮影旅行で来ているのですが、前乗りで金曜日から来ていたのでこの日はオフ写真。
撮影に偏りが出ていますが好きなものを好きに撮って、自転車乗って、川遊びをした日。

 

これ、同じののフィルム版。ペンタコちゃんです。やっぱ色が違うなぁ〜。

 

 

大きな蛾がいて、なんかかわいいかったのです。
桐島からしか見えなくてよかった…。笑

 

 

この日の早朝、京都は地響きのする雷雨で朝も小雨がパラつくような…からのー晴天!笑
途中曇り空もあったので心地よく過ごすことができました。
じゃなかったら死んでたかも。。。

 

 

ペンタコちゃんとデザート。ここは毎度自転車で北上するとお世話になっている賀茂窯さん。
植物園のちょっと上くらい。で、達成感で美味しいご飯をいただけるので大好きなんです。

 

 

前は2Fがカフェだったのだけど今は1Fがカフェになっているようで。
これまた心地よいんです。

 

 

黄色いワーゲンが止まっていてなんだか風景にマッチしてると思いました。
夏のパキっとした色彩がガラスに映り込んで素敵。

 

 

登りはキツかったようですが、帰りは下りなので以外とスルリと走れます。
ちょっと上流まで来ると鴨川は景色が穏やかになって本当に心地よい。どの季節もいいです。

 

スマホ写真と中判フィルムを並べても比較にならないけど、自分的にはどっちも好きな写真。
どっちも好きだなぁ、って思えるんです。
初めての一人旅は京都でした。その時は35mmフィルムカメラだけ持っていったような。
京都は自転車とフィルムカメラが似合うと思う。

 

 

で、下りついでにtossyリクエストでやってきた平安神宮(聖地巡礼)
すっかり青空になりまして。

 

 

映り込みというか、ゆらめき、きらめきみたいなものをペンタコのファインダー越しに見るのがとてもすき。
ただ、光を見ている時間。
両目で左右反転した画を見ていると、幸せになる。

 

 

去年の4月にみんなで神宮庭園にお花見に来たなぁ〜。とか思ったりして。
できるだけいろんな場所に行きたい、って思うから撮影会で同じ場所に行く時は数年空けるのだけど。ここは四季がどれも美しくて大好きな場所。
雨の午後にぼんやりするのが大好きです。

 

 

で、夜の会食は桐島が行きたかった場所にみんなをお声がけ。
旧島津製作所本社を改装したフォーチュンガーデン京都!!ここ、最近オープンしたのですが行く機会がなく建物を見たくて行きたかったのです…!!

 

 

入ってすぐのランプ。モロッコ〜〜〜!!
天井の影とアールのガラス窓が美しい!左右のシュロチクもいい。

 

 

お料理はアラカルトで色々頼んだのですが、このお肉美味しかったなぁ。

 

 

無花果が入ったお料理もあって美味しくいただきましたよ。
多国籍なんだけど、しっかり作られていて。飲み物も豊富でよかったです。

 

 

そして、店内なのですが…よかったらぜひ撮影してください〜。というお店の方のご好意により、プチ撮影会状態。金曜の夜なのですがお客さんがすごく少なかったのも良かったのかも。

 

 

階段スペースのアーチがまた素敵で。
ゆるりと描く手すりもいい。緋絨毯なんです。

 

 

これを撮ってください〜!とご案内されたのは蛇腹式ドアのエレベータ!
みんな、大興奮!素敵すぎる〜〜〜!日本でいくつもないです。久しぶりに見た!!

 

 

階段スペースのガラスに階層表記があるのですが、これがレトロで素敵。
全てが古いものではないけど、とても上手に改築階層していると思いました。

 

 

とっぷり夜も暮れて。
影絵のようなシルエットが美麗です。
次は昼間に見てみたいなぁ〜と思った美しい場所でした。

おすわさま。

BLOGを書く時に分けるために「カテゴリー」を選ぶのだけど、一瞬撮影記録を選びそうになって、日々の記録。にしました。

さっきあったこと、目で見た、思った記録です。

 

 

そういえば毎年お盆くらいの時期になるとこうしておすわさまにぼんぼりが灯って、帰り道がなんとなくうきうきするような感じがあったのですが。

今年は珍しく早く帰宅出来て、21時までのお祭りがまだギリギリ終わってないようでした。
帰る頃にはまだ行く人もいたけど、一旦帰って洗濯機を回してお風呂を溜めて(笑)カメラを持って行く頃には帰る人ばかり。
そろそろ交通規制を解きますよ〜と、警察官の人が声をあげる。

 

 

まだ最後の宵が残るような境内。ずらっと並んだ屋台。
すごい狭い感じ。こんなの初めてみたなあ。
たたんでひっそりしたお祭りの跡ならちょこっと見たけどあるけど。

 

 

祭り囃子に誘われて灯りの中をふらふらと。
まだ人はいるみたい。

 

 

音楽を流しているのかと思ったらお囃子は演奏されていました。
お願いして撮らせてもらった1枚。

 

向き合った瞬間、ぶわっといろんな事が蘇った。

 

 

地域によってお囃子は全然違うけど、思い出すのはひぃおばーちゃんちのお祭り。
地元のお祭りは全然記憶にないくせに、2回だけ参加したすがりやのお祭りがすごくすごく印象深くて。
さかえちゃんがカッコ良かったんだよなぁ。じいも居た気がするんだ。

 

 

じいに聞いたことがある。
「なんで、お祭りって騒ぐの?なんのためにやるの?」って。
小学生だったけど、すごく覚えてる。
自分の祖父祖母にはそんな事は聞けないけど、じいにはなんかそういうのを聞く事が出来て。
じいは、「カミサマは賑やかなのが好きだから喜ぶんだよ」って教えてくれたのを忘れない。

 

足が悪いおじいさんがひょこひょこと一人で帰って行くのを見つめる。

 

 

屋台はそろそろ終わり、最後の1回がなかなか終わらない大人気のこの屋台。
懐かしいようでピカチュウ。

 

 

本堂の方からどんどん人が出てくるので、何が終わったのかと思って行ってみると、お神輿と神様を戻しているところでした。
お神輿って神様を乗せて町内をめぐるんだって教えてくれたのも、じい。

 

担ぎ手は神様を戻す行事にはあまり興味がないようで、みんな法被を脱いでバラバラと帰ってゆく。
子供の頃、お神輿を担ぐのはあまり好きじゃなかったけど山車を引っ張るのはなんか特別感があって好きだったなぁ。

 

 

神様を戻す祝詞があげられて、意外にも撮っていいよと言われる。
でも、祝詞の時と礼の時はシャッター押せないので順番にお礼を言うところで少しだけ。
(撮影自体はOKのようでみなさんスマホやらカメラやらでバシバシ撮影)

 

 

参列者の中に赤天狗がいました。
ドキっとするよね。

 

盆踊りとかの時お面をかぶるのは、お盆に帰ってきた人がその人だとバレずに遊ぶためなんだって。
こういう時、お面をかぶるのは、その人そのものじゃなくて「カミサマ」になっているんだって。
教えてくれたのは、ばーば。
何歳になっても、そういうのってどうしても忘れらんないなぁ。

 

 

厳かな感じですが、小さな子供もたくさんいて、わいわい楽しい雰囲気。
21時半くらいだったのですけど、こんな夜までお祭りをやっているなんて驚き。

 

夜の神社って、ちょっと好きです。
日本のお祭りって少し怖くて、なんか不思議な感じがして。

 

やっぱり、昔の事を思い出すのはこういう行事なんだって思う。
夏は生きものと死人の境界線が曖昧なんだって。

 

なんか、紛れて帰ってくればいいのにね。

 

 

でも、今週、すこし近しい人が急に亡くなってしまい。
ちょっと、気持ちの整理が難しいんです。

 

なんか、それで、こういう行事に偶然出会えたのは、誰かが何かの力で助けてくれているのかもしれないと思ってしまう。
向こう側にいる人は、大好きな人ばかりで。
会いたい人ばかりで。

 

宗教も、何も信じていないけれど。
死んで会えるなら、いつかお礼をたくさん言いたい。
それまでは、胸を張って生きれるように。日々を、自分に出来る事を頑張ります。

 

この、生きている差の時間分だけ、伝えられる事を一つでも増やせるように。
丁寧に、過ごして行きたいと思います。

 

 

夏の魔法の最後のひとかけらを、残しておいてくれてありがとう。

 

 


8月のネコサツ!のこと。

ネコサツ!とは…東京キャットガーディアンで毎月1回開催している猫撮影会、ネコサツ!は猫を撮って猫を助けになる。予約不要の参加費1000円が全額猫たちへの寄付になる猫撮影会です♪

 

 

特に「撮影指導」や「カメラ教室」的なものはありません。質問頂ければもちろんお答えしますが、自由に猫と遊んで写真を撮影して楽しむ会です。なので、スマホ大歓迎、撮らなくてもOKです!お気軽にどうぞ〜!

(いわゆる写真教室・カメラ教室は「猫が邪魔する一眼レフ教室」へどうぞ!)

 

 

TOP写真は一眼レフでした…が、この日一眼レフのバッテリーがなく…。笑

(言い訳をすると充電したのに充電してない方を詰めてきたというw)
iPhone写真でスタート!!!笑
iPhoneでどこまで撮れるか?というチャレンジ!(に強制的になりました)
本日のアイドルはこの兄弟。ほぼ同じくらいの大きさ。
物怖じせずバッチリカメラ目線!三角の顔がちょっとうちのレオンを彷彿させます。
子猫って顔が小さいから耳が大きく見えるんですよね。狐っぽい…。
子猫なのでおもちゃには超反応!!
素早い動きをスマホで撮影するとブレるんですよね〜…ってよくお伺いしますが。
いくつかコツがあって、そこを抑えると意外と撮れるのです♪
(そのコツはネコサツ!内でお話ししてるのでここでは割愛しますね〜)
ゴロゴロしながら伸びている猫を撮ったり…
これは瞬間を撮れた瞬間。笑
前に邪魔猫がいますけど。。。
強烈な左フックもこの通り。
手とおもちゃがブレているとなんか躍動感あっていいですね〜。
あと、大きなレンズを怖がる子もいるので、スマホのシャッター音出口をふさいで撮影すると怖がられません。
シャッター音を消すアプリなどを使用しても良いと思います。
シャッター音、防犯のために音が出るようになっているそうですが…この仕様って日本独自なんですよね。悪い事に使おうと考える人はそもそも音声消しアプリ使うだろうし…なんか、全体的な不都合を生んでいるだけの日本仕様。。。
そして、さくまくん到着しバッテリーを借りて撮影しました。笑
(D7000とD610のバッテリーが一緒)
せっかくなのでちょっと動きのある兄弟を撮影してみたりして。
あ、見切れてしまった。。。笑
iPhoneレンズ(桐島は6s)はだいたい22mmくらい。
この時のレンズ85mm。
これ、なかなかの知能犯…三角飛びを習得しています。
この直後手で押さえたバネを反発力に反対方向へ飛んでゆく猫…。
猫の運動能力ってすごい。。
茶トラも参戦したいけど、キジの勢いがすごすごてなかなか入れず…。笑
子猫は無駄な動きが多いから(笑)予期せぬ方向から飛んでくるのが本当に怖い…。
ほんとに「飛んで」くるんですよね。無重力のように…。
げしげし後ろ足も使って攻撃!!…なんだけど全然届いてないのが可愛い。笑
よっしゃ!もう一回…!!
本体(人間)を狙う作戦にやってきました。笑
じゃらしで遊んでいるとたまに狙われます…。気をつけましょう…。
今日一番可愛く撮れた兄弟写真。
「猫拳」。
一本足打法にも見えるけど…。笑
はー。おつかれさまです。笑
あれ?茶トラも参戦する?
可愛いジャンプを見せてくれます。笑
なんかぽよぽよした表情が和みますね。。。
こちら、大人猫。
ジャンプとか全く興味ないです。今日はマッサージを受けております。
あー。そこそこ。。。
あ、額もお願いします。
あー。。。いいわーー。。。
って声が聞こえそう。笑
揃えた前足が可愛い。
この爪研ぎ、曲線がちょうど良いみたいで、爪研ぎしてからそのまま寝る子が多い気がします。
子猫はなんでもおもちゃになります。
カメラのストラップとか携帯ストラップとか腰についた鍵とかワンピースのリボンとかも大好物!
誤飲を防ぐためにご注意くださいね〜。
本日のトロさま。最後に登場。
今日は関所の番人(脱走)はお休みだったようでほぼこちらに。
飛びまわる子猫たちを細い目で眺めておられました…。
大人も子供もそれぞれのペースで楽しく遊んで撮影できるといいですね♪

8月のネコサツ!ご参加頂きありがとうございました〜!!次回は9月23日(土)です!

どうぞ皆様のお越しをお待ちしております★

 

 

 

 


和の明かり展@目黒雅叙園

 

目黒にある雅叙園という古風で和風な場所で催し物が毎年開催されているのはなんとな〜く知っていて。

和の明かり展も何回か目の開催ですが、初めて行ってまいりました。
百段階段というのがどういう感じなのかわからないまま「階段は嫌だなぁ…」とかよく分からないまま行った桐島を待ち受けていたのは豪華すぎる(いやもう意味分からないくらい)エレベーター。
ちょっとほっとして開いた先にこの馬です。

 

 

 

宮沢賢治からインスパイアされたという作品。真鍮の響く音とフレネルランプと硝子玉。
真鍮の漢字ってなんでこう、色気があるんだろう。
和風って響きがあまり得意ではないので敬遠してしましたが、こういうのもそうか。和風なのか!と驚き。ちょっと視野が狭かったようです。

 

 

一つ一つの部屋は奥座敷のようになっていて次元をワープしたかのような錯覚になります。
こんな大都会のど真ん中に、エレベーターで上がった先に忍者屋敷のような階段があって、高低差無視したような天井絵が豪華絢爛。
これ、誰のために作ったの?と思わず調べたくなりました。

 

 

階段にもこぼれ落ちてきたような植物。
猿が覗いています。

 

 

このお部屋は切り絵作家さんの影絵が展示してあって、清流の森がテーマ。
だからカワセミとかヤマメとか日本の清流の生き物がたくさんいて可愛いらしい。

 

奥行きと影の陰影が素敵。
ちょっとづつ色合いが異なっていることで奥行きを感じるんですよね。素敵。

 

 

この部屋は「草丘の間」と呼ばれていて、展示の動物たちと天井絵の植物がとても合っていて心地よい雰囲気。足元は写っていませんが、人工芝が敷いてあってふかふか気持ち良いのです。
アケビの蒼が美しくて、展示の植物の緑と撮ってみました。

 

これはねぷたの部屋の天井。この部屋は日本画じゃなくて木彫りの立体彩色木彫!
柱も全て彩色されていて、豪華絢爛!なのですが、思わず掃除が大変そう…と思ってしまう。
パタパタだと傷つけるからブロアーかなぁ???とか思いました。

 

 

建築自体は本当に、忍者屋敷!?と思うくらいの不思議な設計。
これ、ものすごい斜めになってるけど多分、斜面に作られているからですよね?現実の世界じゃないみたい。アトラクション的な世界。

 

 

明かり展なので明りが抑えられているのですが、そもそもここは料亭だから夜に人が多かったはず。
夕暮れ時はこんな感じだったんだろうなぁ。

 

 

ちょっと暗いですが、実際こんな明るさ。
天井を撮ったものですが、場所を知らないと天地奥行きがよく分からないと思います…。
全ての天井に絵が描いてある。

 

 

組み木の展示がいくつかあって、その幾何学的な美しさはモスクを思い出しました。
きっとイスラムの方が見たら感動すると思うな。
自分たちはタイルと石膏で作り上げた世界を、東の最果ての国が木で作ってるんだもん。
芸術は、もっともっと分かり合えると思うのです。

 

 

星光の間という響きが素敵で、展示物も星の光を彷彿させる草木のものでした。
落ち葉を照らした展示がとても素敵で、これも宮沢賢治とか稲垣足穂の世界っぽい。

 

 

紫陽花の明りがとても綺麗だなぁ、と思ったのですが、白い蛾がたくさん集まっているようにも見えます。
透明な翅が美しい。

 

日本の芸術表現対象ってやっぱり植物や昆虫、自然物がとても多くて自然に恵まれた国なんだなぁ、と改めて思います。
森と川と海に囲まれた国。って当たり前に享受して簡単に破壊して暮らしているけど、太古の昔から存在しているとありがたいものだという事を忘れてしまう。

 

 

発光する硝子と文字と、光らない黒木と金属。
対比が宇宙的で美しい。

 

 

命の動きに見える、水にも見える硝子の光。
動いているみたい。

 

 

展示はひとつひとつだけど、部屋ごとに俯瞰で見たくなる世界観です。
硝子が好きなので、この部屋に浮かぶ明りがとても好きでした。

 

 

足元に映る文字。どうとでも読めるけど、ひとそれぞれ心に映る文字が違う。
桐島は「FORGET ME NOT FORGET」が目に入ってきました。

 

 

ここら辺あたりまで来ると、脳を変な方へ使っているので、ちょっとトリップしてきて心地よくて。
月明かりのススキに誘われる。

 

 

この部屋、鏑木清方の作品。やっぱり、と。
見た瞬間、天井絵に心を奪われてしまった。瞬間、自分の心を悟られたような十字架。
清方さんはあの人が好きだった画家でした。こんな所にも大きな作品があったなんて。
きっと知ってたんだろうなぁ…一緒に見たかったなぁ。なんて。

 

 

こっちから撮ったら扇がよく分かる。十字架には見えないからこっちの方が綺麗かも。
同じ部屋なのに角度で印象が変わる不思議。

 

あと。ホタルの絵を撮影していたら、きらきらと絵が光り出してとても気持ちが良かったです。
とても綺麗な部屋でした。

 

 

最上階はそれに相応しい宇宙の広がりのような部屋。
下は深海のようであり、闇のようでもあり、川のようでもある、釉薬が美しいタイル張り。
襖を抜いた空間には浮かぶ生花。空には風鈴。

 

 

江戸風鈴の鋭利な切り口が凛とした音色で心地よく。タイルのひんやりも心地よく。
ひとの流れはありましたが、部屋の隅にクッション座布団が置いてあったりして。
座敷童のようにこじんまりと座って眺めるのが心地よかったです。

 

 

座った位置からじゃないと見えなかった目線。
提灯についた鳩の切り絵なのですが、なんとも北欧的。背景の風鈴が玉ボケで可愛い。

 

 

あと。奥の間にあったこの蒼い雫がとても美しくて。
硝子の持つ質感て水の其れに似ていると思うのだけど、形になると余計にそう思います。

 

 

写真って動いているものを止めることも出来るし、止まっているものを動かすことも出来るんだけど。
自分の思考をそのまま投影することで、自分が見えている世界を作ることが一番面白い。
水は流動する物質だけど、硝子は固定されている物質。
でも、硝子は熱することにより再び動き出すし、水は凍らせることにより固定することも出来る。

 

 

写真はその形を変えて雫を動かすことも出来るし、光を操ることも出来る。
なんだか、錬金術っぽくてとても楽しいし美しい。

 

 

明りは影を生み、影は形を生む。
その二つを一つの存在として写し込むと立体感になるし奥行きになる気がする。
でも、そのバランス(配分)が難しい。難しいと思うからこそ、余計にありのままに撮りたくなる。
きっと、障害になっているのは自分の思考。
目の前にあるそのままが美しいのに撮れないのは自分の思考が変なフィルターをかけている。

 

 

青色の硝子を追いかけていたら、ふうわり風鈴が魂に見えて。
陰影を追いかけたら彼岸のようでした。

 

そういえば、お盆休みでしたね。

 

 

明かりに集まる蝶々蛾のように。写真に魅入られた自分は夢中で撮影しておりました。
いろんな目線で捉えることが出来るし、空間とのコラボもとても素晴らしい展示。
会場は寒いくらいに空調が効いているので大変快適です。笑

 

行きに「これを登るのは無理!」と思っていた凄まじい坂は早々に回避して品川までタクシーした軟弱者です。
久しぶりに見応えのある素晴らしい空間でした。

 

ご一緒いただいたRieさん、YURIさん、ありがとうございました。

 



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