金魚の日

かれこれ数年来の金魚友人と金魚を愛でて来ました。
といっても逢うのは数年ぶり。夏に逢いたくなる人なんです。
向かった先は日本橋のアートアクアリウム
なんだかんだで1回目の六本木の頃から行っているのですが、年々と混み具合が凄まじく…。今年は台風接近だったというのに入場に60分待ちでした(お盆の日曜日というのもあったけど…)
友人を待つついでに入場列に並び実際には60分も待たなかったけど。暑い日だったらもっとしんどかったかも。
 
今年の家紋みたいなマークが土佐金でとっても可愛いのです。
土佐金もたくさん展示されてたのですが、やっぱりこれは高知県に行きたくなりますね…。
四国は足を踏み入れた事がない未開の地なのです。
 

人は多かったけど入場制限されていたので、待てば見れるし撮れる感じで。
桐島と友人はもう、金魚を語り出したら一晩ではすまない可哀想な人なので…なかなか進めず。笑
 

とりあえず、この上見が出来る金魚の水槽がとても良かったんです。
金魚は上から見る用に作られた子と、横から見る用に作られた子がいます。
らんちゅうは横からでも可愛いけど、上から見るとぼてっとしててやっぱり愛らしい。
 

水泡眼とか頂点眼とか、完全に上から見ることを想定されて作れた子なんかはこの展示がとても似合う。
本人達は迷惑極まりないだろうけど、その為に「作られた」美しさは、やっぱり美しい。
 

横見の代表、琉金。三角のフォルムと流れる尾が美しい。
ライトが刻々と変化する仕掛けの水槽ばかりだったのですが、ふつーのこのクリアな光の時が一番ウケが良かった気がします。
ヴィヴィットな色彩になってしまうと金魚本来の色彩がどんなんだか全く見えなくて。。。汗
 

この展示は今年もとても幽玄でした。
レース越しの金魚。
遊郭の女郎を眺める気分で。なんとも言えません。
友人はこの展示が一番好きみたい。
 

白いレース越しの、白い金魚。が、とても美しくて繊細で。ずっと見ていました。
琉金のツン、とした顔よりもオランダ系ののっぺりした顔が好きだという事に今更気付いたりして。

遊郭の格子から外を見遣る少女のよう。
 

今年は鯉の展示も多かった気がするけど…鯉はあまり好きではないのでちょっとだけ。
大きな魚はちょっと苦手なのです(怖い。。。)
 

今年は花魁水槽ではなく大奥水槽になってしまったので、ちょっと違うよねー。と語り合ってみたり。
金魚はね、姐さんじゃなくて娘さんのイメージなんだよなぁ。
ちょっと歪んだ愛情だとは分かってますよ。金魚って人間に弄ばれた命の奇形だもの。
だからこそ、愛が深くて業が深すぎる。
 

ぼんやり浮かぶうつろな金魚を見て「きれい」と口々にカメラを構える人々。
自分らも例に漏れず。
江戸時代と、今と、何も変わってない狂った人々。
 

パラドックスリウム。
でこぼこの凹凸レンズがアクリルに組み合わさっていて、見ているだけで不思議な世界観。
これもライティングがめまぐるしく変わって、やっぱりクリアなのが一番綺麗だったけど折角なのでレッドで。
 

青の時の青文魚がとても可愛いかったので思わず追尾。
きらきらと光る光芒と金魚の暗さの対比がたまりません。
 

真正面からじっと見つめて来たアルビノくん。
今日は真っ白な金魚がとても気になりました。なんでだろう。
 

中央にあったひな壇の中には鯉系の子がたくさん居たのですが、全体として側面からみると不思議。
水面を下から眺めるのは、好きです。
魚影が鏡のように投影されて、不思議な世界。
 

最近出て来たピンポンパールちゃんたち。
この子たちを最初に見た時ぎょっとしてしまってちょっと無理だったのですが…こんなに大きな子(手のひらサイズ)にまで大きくなると不思議な感じがします…。
最近では一番人気の品種だそうですが…うーーーーん…。どうしてもマツカサ病を彷彿させてしまう…。。。
 

金魚は元々が「奇形」なので弱いんですよね。
金魚を飼ってもすぐに死なせてしまう、とも聞きますし、桐島も過去に何度も死なせてしまっています。
水槽を安定させるのがとても難しくて。
病気になってしまう確立が金魚はとても多い気がします。
 

でも、金魚は人に懐きます。
手から食べるし撫でられるしじっと話を聞きます。

何だか歪んだ関係で、歪んだ愛情表現の極地のような気がして。
やぱり金魚に惹かれてしまうのです。
 

じっと、こちらを見て来る。
じっと、僕も見つめ返す。

エアレーションの光にシルエットが飲み込まれそうになってしまう。
 

ライティングによって印象が全く変わってしまうのは、アートアクアリムらしくて良いと思います。
写真を撮るには不向きだけど。何だか分からない「もの」としての美しさは不思議とあるんです。
 

ゆらり、シルエット。
夜中に見る金魚の影がとても好きで、ものすごい人混みだったのですが、暗い中いつまでも見ていられそう。
 

愛する、ってなんだろう?

と、金魚を見る為に思います。
たぶん、「矛盾」を受け入れる事なんだと思いますが。
それは一方的で、終わりが無くて、悲しいものの延長で。
どこまでも、美しいもの、だと思うのです。
 

幸せ、と、愛すること、は、イコールではないと思ってしまう。
愛されなくても幸せでいられるし、幸せは愛する事では完結しないから。

一つの存在の価値の断片化としてのモデルが、愛。なんだと思うしかない。
 

最後に友人と一緒に見たレモンコメット。二人とも初めて見た品種でした。
「これさ、絶対漢字で書けるよね」
「うん。檸檬流星、でしょ?」と、笑いあう。
そうそう。
数年逢ってなくても何事も無かったかのように、当たり前に笑える関係。
 

時間ギリギリで席がとれた金魚なラテアート。
ラテアートなんて初めて!というおかしな友人に笑いつつ、美味しく頂きました。
すごくたくさんの品種がいたのだけど。なんかメジャーな品種を選んでしまう。
出目金はシルエットが最強に可愛いんだよね…。
 

桐島はらんちゅうを。
らんちゅうが好きになったのは友人の影響です。そして、桜錦の可愛いさも。笑

とーきちゃん。久しぶりに逢えてとっても嬉しかったよ。
性懲りも無くあちこち連れて行きたいので、また声かけます。一緒に金魚の旅をしたいなぁ。
暑いので溶けないようにね。



 

金魚と、距離感と、気持ちについて。

先月撮影した金魚写真をぼんやり眺めながら、金魚が好きになったのは、なぜだろうと考える。。。
それまで、「魚」が苦手だった桐島は食べれない魚は苦手(食べるのは大好きでした)
なんか、ぬめっとして、ぎょろっとして、怖い…。

そう、思ってました。



「金魚」は元々フナの仲間。
鯉みたいな形だったのに、人間の手で形を歪められ、命を縮められた生き物。



業が深い生き物です。

でも。
「ペット」という生き物は全てそう。
生物が他の生物の生き方に関与していること自体が間違い。

人間だって、地球上に存在する動物の一種にしか過ぎません。
高等でも下等でもなく、全ての生きとし生けるものは平等に生を受けます。



動物園が水族館が、苦手だという話を前に書きました。
金魚の話しを書くといつも、「生き物」の話しをしている自分に気づきます。

たぶん、金魚を好きな理由が「愛したものだから」だと思うんです。

正しいとか、正しくないとか、もうそういうのとはまた違う。
そもそも、正しいか正しくないかのジャッジメントなんて、誰にも出来ません。

カミサマは国によって裁量が違くて。
生まれ落ちたらそこが自分の戦場になるわけで。



「美しい」ものに、惹かれました。
魂を奪われてしまったんだと、思うんです。

それは、正しいか、正しくないかという世界とは違う、個人の心の中の世界。

金魚は人が作った畸形。 異形です。

愛するが故に、歪めてしまう。
もっと、欲しくなって、望んでしまう。

その相手の気持ちや命さえも、どうでも良くなってしまって。
結局は、自分の願望を叶えるためだけになってしまう。

悲しい、世界。




同じ時間、同じ場所に生きているものたち。
想うことは出来ます。好きになることは出来ます。愛することは出来ます。

けれど、
想われることは出来ません。好きになってもらうことは出来ません。愛してもらうことは出来ません。

それは、自分。じゃないから。

自分以外のものは、自分じゃないから、関与出来ないんです。



手に入れたつもりになって、征服したつもりになって、判ったつもりになって、両想いになったつもりになって。
それは、「そう思いたい」から自分が思い込んでいるだけ。

桐島は、どんな対象物とでも「両想い」は存在しないと思います。
気持ちの尺度は測ることが出来ない。だって自分と他を比べることなんて出来ませんから。

各自、勝手に想う。
その時間と対象物が互いに非常に近い状態を、両想い。だなんて錯覚することもあるかもしれない。

だから、互いの気持ちの均衡が崩れた!なんて、不安になるんでしょう。
最初から存在しないものを、無くした無くした!と、泣きわめく子のようで。



金魚の美しさは、そんな矛盾した愛情で出来ているような気がします。

この美しき宝石のような生き物たちは、どんな世界を見ているのでしょうか。

人間に愛された魚。
その歪んだ愛故に、容まで歪められて。




それでも、この子たちはただの一つの、命。

僕の顔を見ればごはんをねだり、水流で遊んで、水槽掃除のときには手にじゃれついて邪魔をする可愛いらしさしかない、一つの命。

金魚の歴史。命の歴史は、人間を愛するかどうかは、彼らには、関係ない。
ペットや命に惹かれる背景には、彼らの無邪気さがあると思います。

「誰か」が保健所に「不要物」として持ち込まれた生き物を、全力で救おうとする「誰か」もいる。
その子たちは差し伸べてくれた手に無邪気に懐きます。

その、無邪気さは愛おしくて、悲しくて、苦しい時もあって、それでも大好きで。


これからも、僕は金魚たちを愛してゆくと思います。
その美しさと、愛らしさと、矛盾に、魂を奪われながら。

写して、ゆきたいと思うのです。







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最近の桐島家のこと。

寒い日が続きますねー。
ベランダに置いておいたバケツの水が毎朝凍ってます。。。



こんな感じ。結構分厚いのですよ…。



綺麗なんだけどー…ちょっとビビりますよね。
今年は例年よりも寒いって聞くけどホントに寒いようで(^^;)
去年、一昨年はこんなに凍らなかった…。。。



ですが。ベランダの緑さんたちは割りと元気です。
サボテンたちは温室を作ろうと思ったけど…別に大丈夫そう(^^;)



しかし多肉氏たちは完全に冬モードです。
寒いと紅葉するんだよね。真っ赤っかです。
八ヶ岳倶楽部に行った時に多肉氏がモリモリ生えてて、新潟の山奥が大丈夫なら千葉県の平地は大丈夫だな!という結論になりました。笑



蔓薔薇のサマースノゥの夏香さんはなんとなく葉が残ってます。
蔓薔薇も剪定しなきゃいけないんだよなー…そろそろやんないと。。。



こっちはフワフワですが夢香さん(←夢香さんは名前だけど品種名なんですよ。笑)。
去年は弱剪定だったので今年はザックリ行きたいところ…。出来れば植え替えと肥料追加もしたい…。。。今月中にやんなきゃね(^^;)



そして。ブルーベリィたちはまだ綺麗な紅葉をつけてます。
そろそろこの子達も剪定しないと邪魔なくらいになってきたなぁ…(^^;)
日当りが良いので、ぐいーん。と、何でもよく伸びます。
だから紫陽花系は水切れが大変なんですよね…。この家…。。。



で、あまりに日差しが気持ちよいので日向に置いてみました。
影がくっきり綺麗。
フラワーベースにしているのは香水瓶です。



この前連れて帰った八重のアネモネさん。
日陰で撮るとこんな感じ。
ほんっとに可愛い…。鉢で売ってるのみたこと無いんだよなぁ…。
いたら連れて帰ります。ほんと。



そして我が家の住人。青文魚のシェウ=ウェン。
相変わらず凝視してくる人懐こすぎる金魚です。笑



でっかくなりましたよー。しっぽが綺麗なんです。
中国金魚なので冬はヒーターONの23℃快適くらし。



銀色っていうか、最近は白っぽくなってきました。
青文魚って黒っぽい子が多いか黄色が入ってしまう子が多いのですが…我が家は白に近い銀色です。
真っ白な青文魚のことを白鳳(はくほう)と言うそうです。なんかカッコイイなぁ。
中国名はパイフォンだからうちの子がシェウ=ウェンじゃなくなっちゃう。笑
名前は青文魚(セイブンギョ)の中国読みです。

写真には居ないのですが(ちょっと写ってる赤い影)もう一匹も中国名。
もう一匹はカメラレンズが嫌いなので出てこないんだよねー。
ストレス与えたくないので追いません(^^;)



それに引き換え…この子はこのありさま。笑
撮ってるのに気付くと近くに来て、真正面からガン見。笑

あまりに人をじーーーーーっと、真正面から見るので。
目が離れている事から『ぽにょ』とあだながついてます。笑

みんな彼の事を『ぽにょ〜!』と呼びます。。。うん。でも、かわいいからいいです。笑
桐島がアトリエに居るときはずっと近くにいる可愛いこです。

きっと「そっちに行きたい…」とか考えてるんだろうなぁ…。笑



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日本橋の金魚展の写真。

金魚は罪深いイキモノである。と、誰かが言った。

けれど、金魚には罪は無い。
罪があるのはいつだって人間だ。

行為に意味を見出し、行為自体に名前をつけたがる。
「罪」を作るのは、人間という種族しかいないからだ。



日本橋で行われている金魚の展示会に行ってきましたよ。
編集が遅くなってしまい、、、もう展示も終わってしまっているのですがすみません。
記録の為にULしますね。



なぜ、「罪」なのか。

金魚は可愛いです。可愛いから愛でられる魚です。
でも、金魚ははじめから可愛いかったわけではなく、人間が「可愛い」と思うように改良された魚です。



元々はフナ。
川にいる、あのフナです。大きなメダカみたいな、黒っぽくて普通の冴えない魚。

フナの突然変異の赤いものを掛け合わせて作られたのが小赤。
よく、お祭りで売っている金魚です。ペラっとした金魚ね。

さらに、かけ合わせたり、手を加えたりして、出目金なんかが出来たわけです。
人が、「種」を作るという行為。

それは、罪なのでしょうか?
それとも、「愛」なのでしょうか?

桐島は、行為自体に意味があり、当事者だけが答えを知っていると思います。
周りの人間がその行為にどう名前を付けても、それば、外野から見た光景であって、心理は当事者しか分からないと思うのです。



僕を見つめる、ちいさな命。

この、ガラスの中の水の中でしか生きられない美しい命。

それを見て、何を想うか、どう思うか。ひと、それぞれ。

僕は金魚が好きです。
とても愛らしいと思うし、その歴史さえも愛おしいと思う。



暗い水槽に漂う金魚を見ていると、ふと自分が深海や宇宙空間にいるような錯覚になります。
勿論、行ったことは無いので妄想なのですけど、ぽっかり空いた闇に吸い込まれそうになります。

水槽の中でしか生きられない金魚。

地球の中でしか生きられない人間。

どちらも、大差あるのでしょうか?


その命、その姿、その眸さえ、作られたものであっても。
そこに存在している事は、誰の意思でもなく。

生きたい、生きているという事実と。
僕と向き合っているという時間は嘘でもなく、ただ、そこに存在しているだけのこと。

僕はカメラを通して金魚と向き合うと色々な事を考えます。

金魚以外のイキモノ、生きてないモノも、色々考え深いのですけれど。
金魚はなんだか、ちょっと特別回路で思考してしまいます。



綺麗なものを綺麗だと思う事は、ただそれだけの事。
それは、事実として「美しさ」という形容詞に包んで飲み込まれる。

けれど、イキモノとしての視点からイキモノとして見ると、憐憫の目が入り込んでしまう。
高慢な事かもしれないけれど、自分が人間であることを恥じるべき状況にあると思う。

(桐島は水族館や動物園が大好きで大嫌いです。人間が他の動植物を自由に監禁・飼育していい権利は無いという考え方です。でも、いつもジレンマに陥ります)



無数の金魚の中の一匹と、目が合う。

僕は、何もかも見透かされた気分になり、一瞬 無 になる。

心がフラットになる、という意味。

その時はシャッタを押すべきだと、思う。
撮っているのではなく、撮らされているのではなく、意識の深層で「美しい」と思っているからだと思う。

個人の価値観の中にある、「憐憫」「高慢」「嫉妬」色々な感情が消えた世界だと思う。



この写真↑をある人に「これは写真ですか?絵ですか?」と言われた。

僕は笑って「撮ったままの写真ですよ」と言ったけれど、絵でも大差はないと思う。
写真は真実ではあるけど、事実であるとは限らない。

シャッタを押した人間にとっての真実、つまり心の在り様が映っているだけで、閲覧者のみたい世界が映っているわけではないからだ。

写真家とはそういう職業だと僕は思う。
(カメラマンとは閲覧者の要望通りに撮る事が出来る技術者であると解釈している)



夏の終わり。

やっぱり金魚は綺麗でした。
我が家に居る金魚たちを、もっと愛でてやらなくてはな。と、思った展示でした。




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掌の夢。

 


柔らかな夢を視る。
現実的ではないから夢だと言うなら彼女達は夢、夢想そのもの、だ。





人の思想が造り上げた容。容れ物。
それは、愛。なのか。
ただの、慾なのか。
どちらも、同一。なのか。 




彼女達が美しく在る事には代わり無く。






命は尊い。
尊いからこそ、愛しく。
愛し方は、人それぞれ思考の数だけ。







緩やかな夢の痕。
誰かの愛した容に成った彼女達は、その誰かが居なくなっても愛された容のまま生きてゆく。
 





『想い』を繋ぐモノが在るとしたら、容なのではないかと。
一つの側面では思う。






思考や思想は当事者の死によって絶たれる。
受け継ぐモノは受け継ぐ者の解釈に委ねるものであり、純度という意味では保てるモノではない。







そういった一遍的な側面からは、肉体的なコトや物理的なモノというのは絶対的な力を持つのかもしれない、と。






美しい金魚を見ながら、ぼんやり考えたのでした。





個人的には。
容は容れ物であり、肉体は只の肉であり、思考は脳が視る夢であり、死によって全てがゼロになる。と、思います。
生きていればイチ。
ゼロとイチの世界です。
この文章を構築する世界と同じ。





金魚のように誰かの愛した容だったり、思想や教えを受け継ぐ感化されたものは、ゼロとイチの間の話だと思います。
或いは、nanoコンピュータシステムの世界ですね。笑





ゼロとイチは絶対的な非存在と存在ですが、それ以外の世界を構築することも出来る。
絶対的なモノは存在するけれど、その力を世界に定義づけるのは自分自身という枠の中のお話。
相対性理論が破綻するように。物理学は事実上、地球上の理論でしかないのと同じ。
誰かにとっての絶対論が、誰かにとっての机上の空論だったりする。





その境界線を、ゆるり、とたゆたう乙女達。
美しい世界。美しい姿。

美しいというのはとても狭い価値観。
だからこそ価値がある。 





真夏の最後の夢。
金魚な日を過ごしました。
毎年無言の約束。とーきちゃんと行けて嬉しい桐島でした。
金魚は良いね。
うちの子達をもっと可愛いがってあげようと思いました*



それが、誰かの夢の痕だとしても。
僕が愛する容であることには、変わりないのだから。











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夏金魚。

夏に向けて、水槽の大掃除をしました。
見た目には綺麗でも結構汚れているもので…うーん。すっきり。
心なしか同居している水草くんも嬉しそう。

全水換えの時は歴代の金魚たちと同じく。
この、琺瑯の洗面器台の中に居てもらっています。
この琺瑯の感じがノスタルジックで。大好きなんです。
長野まゆみの世界みたいでちょっとドキリとするんです。

写りこむ世界の虚像を、金魚の波紋が打ち消して。
ゆらゆら。静かな午前の光。



だいぶ大きくなりましたよー。
うちに来た時より一回り以上大きくなりました。
特に蒼文。12月の写真と比較すると驚きます。笑
朱華の方が大きかったんだ…。笑
http://photodiary.skyclover.hacca.jp/?day=20091212
まぁ、でも。どっちかというと蒼文の方が甘えんぼで頭悪いです。笑
手を突っ込むと遊んでると勘違いして手をつっつくのは決まって蒼文だったり。
誰か近くに居ると構ってくれるまで真正面から「じーーーっ」と見たり。(←ちょっと怖い)
とりあえず。 でっかくなったなぁ…。笑



尾の感じとか。広がり方とか。
ものすごい綺麗です。青文魚(←品種)の中でもかなり綺麗な子なんじゃないかと。
金魚坂さんでお迎えする時も「尾の綺麗な子をください」って言って出してもらったくらい。

青文魚は、その名の通り。青味がかった灰色の独特な色が素敵なのです。
青文と一口に言っても、茶色がかった個体も居るし、黒に近い個体も居ます。
うちの子は出来るだけ茶が入らない、灰青の個体を。と、選びました。
そして。色々調べてゆくと、うちのは「羽衣青文魚」な気がしてきました…。
ひれが長くてピロピロしてるのは「羽衣」ってつくらしいですよー(ピロピロとは書いてない)



白が多い子は成長するにつれ、青が抜けてくる個体があるそうです。
やがて、真っ白になる。その青文魚は「白鳳」と呼ばれるらしいです。
中国金魚ですからね。なんだか神様みたいで素敵です。
白蛇とか白鹿みたいに、白いものって神様を連想させる感じがします。
…まぁ、うちの子はそんな器じゃないと思うので(笑)元気で居てくれれば後は何でもいーです。笑

阿呆でも良いから元気に育て〜。







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3月の同居人事情

 

昨日に引き続き、同居人事情です。

こちらの同居人(魚?)2名。
ヒーターつきなので、真冬でも元気一杯。大きくなりました。
すっかり懐いて人の顔を見つけると寄って来る来る。笑

拍手でコメントをいくつか頂きまして。。。
「金魚たちは生きてますか?」「元気にしてますか?」 と、頂いてしまいました。笑
すみませんすこぶる元気に暮らしております(^^;)



特に蒼文は元気ありあまりすぎ。真正面顔ばっかりです。笑
そんなに主張しなくてもいいから…。。。

咲真くんは蒼文(シャン=ウェン)じゃなく、「ぽにょ」と呼びます(…。)
正面のこの顔がぽにょに似ているかららしい…。笑
なんか蒼文って目が、他の金魚よりも離れてるんだよね…。
確かにぽにょっぽい。笑



フィルタの掃除をするのに手を突っ込んでも
「なになに!?なんか遊んでんの!?」
と、まとわりついて来る2匹。
危機管理能力はゼロです。笑

蒼文と朱華。
日々、とても元気に暮らしております。





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蒼文と朱華@黒の夜

昨日の夜中に撮った しゃしん。



桐島が帰宅するとぼんやり起きる金魚たち。

夜の闇の中でふわりと、浮かびあがる。



静かにたゆたう姿は なぜか宇宙空間を漂っているみたい。

水の中は無重力。 夜は闇。

あぁ、この水槽の中は、宇宙と同じだね。




宇宙には、星が降って来る。

きらきら、きらきら、降って来る。


そして、宇宙には






月が 在る。






月に泳ぐ 貌の無い金魚。

なんだか、文学的だ。








翅のような手を伸ばす。

いや、手。じゃないか。 うん。 何でも、いいのか。






自由に 遊び 自由に 泳ぐ。

透明な水は綺麗だけど 真っ黒な水も 好き。

手も 膚も 何もかも 真っ黒に してしまう 夜の水のなか。







ふわり。 尾が蝶のように。


綺麗だ。綺麗だ。 と、惚けてたら時が随分経ってしまいました…。




ちなみに、お金魚様はヒータつきの水槽なので常に23℃の世界で暮らしてらっしゃいます。
桐島の生活部屋は12℃です。笑

お、、、お金魚様…!!!笑



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