2017年度、金魚の会。

 

毎年恒例、年に1回の逢瀬、とーきちゃん。

(個人的にはもうちょっと逢いたい気持ちはあるんだけど。笑)

 

以下思考記録含む日記なので、写真だけでもいいかもしれません。

 

 

去年は金魚の聖地、奈良の大和郡山に行ってきて、その前の2014年は同じく日本橋
その前は2010年の金魚イベント。その前の2009年も同じイベント
金魚のみのアートアクアリウムの前の、スカイアクアリウムの第一回目が2007年で。そこから東京のは全部見に行っているなら、10年目くらいになるわけで。

 

 

金魚=鑑賞するもの、という図式がまたメジャーになってきて。
金魚たちには良いのか悪いのか。
もともとは江戸時代から続く改良観賞魚で。入ってきたのは中国だけどもね。
江戸錦とか桜錦とか東錦とか日本ならではの改良品種もあって。

 

 

毎回思ってしまうけど。
金魚って奇形に奇形を重ねた、弱い魚だから。
泳ぎが上手くないしすぐ病気になって死んでしまう。

 

 

アートアクアリウムは金魚に対してものすごーーーく気を使っているとか聞いたことがあって、まぁ、それはもちろん嘘ではないだろうし気を使っているし丁寧に扱っていると思うのだけど。
今回展示されている超でっかい水盆の金魚たちは、かなりなストレスだろうなぁ、と。

 

 

いやいや、でもそんなことを考えていたらなんでここに来るんだよ、とか突っ込んだりして。
そもそも可哀想だと思うなら金魚を愛でること自体が可哀想じゃないか?って。ぐるぐるしながら、眺める毎度のイベント。
切子硝子と金魚のコラボがすごく美しかったのです。

 

そうなのです。金魚はただ、ただ、美しい生き物なんです。
自分の思考の矛盾なんか軽く消えてしまうような、美しさ。

 

 

この九谷焼きの中に金魚がいて、それはもう素晴らしいんです。
器自体も素敵で。

 

 

金魚って、存在自体が倫理的に間違っていて。
ただ、美しくあるために貌を歪められて苦痛を与えられて生きているだけの、宝石。
なんでこんなに美しいんだろう、って思ってしまう。

 

 

循環式の器なので静かに滑らかに水が動いています。
よく考えられていて見た目もきれいなんです。これはすごい。
切子も九谷も素晴らしい出来栄え。そこに入っている金魚も、これは何年ものかなぁ、という個体ばかり。

 

 

特に気になったのが青文ぽい右の子。
らんちゅう型なんですけど尾が長い!
ふわふわ、ひらひら、美しくて。うちにいた子を思い出します。

 

 

金魚はね、ほんとに美しくて。
その美しさは業でしかなくて、ただひたすら鑑賞のためのものでしかなくて。
金魚の里と言われる場所で見た数々の光景もかなりショックだったのだけど、人間が「見る」ためだけに作られた命なんだって。そう思います。

 

 

それが良いことなわけないけど、倫理ってその時代を写し取ってなぞっているだけで。
今の日本でいうなら、魚類は動物愛護法には関係ないという。

 

そういうんじゃなくて、単に自分が、どう思うか?ってこと。

 

 

だからこそ、難しい。
可哀想だとか可哀想じゃないとか、そういうのを超越して、ただ、ただ、美しいと思ってしまう。
その美しさは人間のエゴが作り上げた貌で。
それを知った時心が冷えたようにびっくりしたのだけど。
この美しさを「作れる」のだと聞いてまた心が冷える。

 

 

金魚を「作る」って文字通り金魚に手を加えるんですけど。
それが数年単位じゃなくて数百年とか国家レベルでやっていることだったりして。
美しさに魅入られた人たちが、金魚をもっと美しくしようとしてしてきた行為の結果を自分は見ているというなんだか不思議な感覚になるんです。

 

 

展示方法もいろいろ意見はあるし見方もあるけど、惚けて見てしまうという事だけを抽出すれば、金魚の本来の「使い方」なわけで。

江戸時代に畳ではなく下に水を張って金魚を泳がせて涼をとったように。

夏に金魚を見て涼をとるのは、この魚を見る本質でもあるのかな、とか。

 

 

漠然と、全体を「アート」としてみるとあぁ、美しいなと思うのですが。
意識を一匹に向けると、そうしたらいいか分からなくなります。
これは生き物。

 

 

じゃぁ、自分がどうしたいか?というと、それもまたわからない。
ただ、美しいと思ってしまう、魔法のような感覚。

 

金魚はその美しさで国を傾けたこともあるとか。
まるで美女のような存在。

 

善悪の感覚さえおかしくなる美しさ、それが金魚の本質なんじゃないかと。
思いながら少しだけ撮影してきました。

 

 

そして。有楽町、三菱一号館。ちょいとぶり。
ここでディナーを食べてのんびりしていたのですが。
カフェとお手洗いを繋ぐ通路の映り込みがあまりに気になって、カメラを持って行きました。

 

溶ける意識のような、混ざった思考。
多重っぽいですけど1枚。

 

 

硝子の向こうの黒い自分が手をガクガクと、差し出して引っ張り込もうとするけど。
それを呆然と見ているような。
自分の目と思考が少し離れているような錯覚。

 

 

そのあと、国際フォーラムのお散歩をしたりして。
夜を楽しんだのでした。

 

 

さくま、きりしま。ずいぶん遠くまでやってきた気がします。
とーきちゃんとも一緒に仲良くできて嬉しい。

 

いろいろ考えたけど、自分はとても恵まれていて、結構幸せで、適当に生きていて。
それで、写真を撮ったり。考えたりして。
見れる貌でありたいな、と思ったりしました。

 

ありがとう。

 

 


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