La différence est pas.@ aria
紫陽花撮影の後、宿泊している月屋さんにて撮影をさせて頂きました。
町家なのに洋室があって(それは錺屋さんも同じ)それはそれは絵になる部屋なのです。
そして、この部屋の雰囲気を初めて見た時にずっと心の中でひっかかっていた世界があって。
それが何なのか分からないままにずっと過ぎてしまっていたけれど。
ariaに被写体をお願いする時にわかりました。あぁ、タルコフスキーの目線だ、と。
タルコフスキーはロシアの映画監督で。
あまり映画に詳しくない桐島でも知っている美しくて静かな世界を創り上げる人。
といってもただ静かなんじゃなくて、人ではないものの蠢きというか、湿度を感じる。
空気感、といったらずるい言葉だけど、水を張った世界を外側と内側の両方からみているような感覚。
そこに、植物をゆっくり沈めて人間にしたような、世界を作る人です。
その人が撮影したポラロイドの写真がSX-70で。
偶然にも自分が持っているポラロイドカメラもSX-70で。
今回撮影したのはNikonだけど、今思えばSx-70も持って行けばよかったかなぁ、と思うけど。
タルコフスキーが使ったSX-70のあの、蒼くて透明な色のフィルムはもうないから。
じゃぁ、そのカメラでなくともいいかな、とも思った。
ariaは映画好きで。もちろん、桐島よりもとても沢山の映画を見ていて。
何がいいって、その、向き合う姿勢がいい。
身体を預けて精神を投げ出して閲覧しているような、そんな感じ。
(勝手に書いてて違っても他者の視点ということで。。。)
タルコフスキーの世界みたいな世界を撮りたいな、と思った時に。
自然の中で撮影することや、オマージュではなく。
自分の中の「彼」の部分を引き出してみようと思った。
その媒体と表現がariaになってくれている。
この写真たちを撮影している時(いつもだけど)二人とも、大笑いしているような笑い声で。
「わああああ!これいいですね!桐島さん!」「ね?ね?いいでしょ!?これなんかいいよね!?」と画面からは想像出来ないようなワイワイ騒がしい感じなのですが。笑
ariaとのこういう世界は一人で落ちてゆく世界ではなく、一緒にその仄暗さを楽しむような。
貌が闇に溶けてゆく心地よさを共有するような感覚。
怖いんじゃなくて、愉しい。
絵は二人で描くことが出来ないけれど、写真は二人で創る事ができる。
それが、今の自分が出した答えなのかな、とも思う。
個が、確立されて交わらない人だからこそ、こんなに心に踏み混んでも乱れない。
ariaの中に触れてもariaは変わらない。だから、美しいと思う。
花は前日に京都の花屋で購入したもので、とてもいい雰囲気だったのですが。
もう一つ、お願いして持ってきてもらったものがあり。
ariaが大切にしているグラスです。
この方のグラスは光を通した時にとても美しくて。
影がとても綺麗なのだけど、今日はそのものを、水のように留めてみました。
この部屋が持っている包み込むような質感と、ちょっとした緊張感と。
窓辺の柔らかな光がガラスを水に戻してしまったよう。
この日はタルコフスキーとアルチンボルドと絵画の話をしていたのでなんか、そんな感じの写真になっていて。
絵を描いていた感覚を思い出しているような、ariaに引っ張られたような。
この写真も、とても好きです。
光を生み出しているよう。
昔からお互いを知っているような知らないような。
なんとなく知っている面が少し多い気がする、関係。
もう15年以上になるなんて不思議だね。
大切な時間を共有してくれてありがとう。
また逢える日を楽しみにしています。
- 2018.07.10 Tuesday
- 撮影記録
- 23:03
- comments(0)
- -
- -
- by 桐島ナオ