Qu'est-ce qui ne change pas?@樹里

 

2月の良い天気の午後。久しぶりに樹里ちゃんを撮影させて頂きました。

樹里ちゃんはPhotoCafe写真教室にも来てくれていて意外と長いお付き合い。2月の撮影会で産休明け(笑)参加をしてくれました。

 

3年前に、撮影させて貰ったのは樹里ちゃんの可愛いらしい外見の内側にある秘めたもの。
言葉にすると陳腐になってしまうけれど、パっと見はカラフルで可愛いけど、それで目を惹くだけで本質は全然違う場所にあって同じことなんだよ。という感じ。
そのあとは、樹里ちゃんの人間らしさ。みたいな部分を撮りたかった。「生きてる。」みたいな部分。

 

 

前回より髪を短くした樹里ちゃん。
より、樹里ちゃんの本質みたいな部分、その底にある塊みたいな表面を削るような撮影がしたい、と。
冬らしい場所を探して、湾ではない外海になりました。

 

 

何万年も前から存在する岩を波が削って出来た地球の一部。
生命の容れ物が蓄積して大地を形成して、それをまた地球が削っていく。
よく見ると色んな色彩になっていて反射している。

 

満ち引きに残された海水に映っているのは今、ここに存在している樹里ちゃん。

 

 

人の本質は変わらないと言うけれど、変わってしまったように見える人もいて、変わらないように見える人もいて。
その違いは何かというと、向いている方向自体が変わってしまったのと、引き出しが増えただけの違いなのかな、と。

 

その人自身が確立している人は、いくら状況や環境が変わっても向いている方向は変わらない。
だから、本質はぶれない。
その人自身がない人は、状況や環境によって人間が変わったかのように見える。
そもそも本質を自分自身が認識していない。
樹里ちゃんは、母になる。という人生の一大イベントがあって。
それは本当に大きなことで素晴らしいことだと思います。
その上で、こうして被写体をやってもらえるのは幸せなこと。
そして、やっぱりブレないカッコ良さが樹里ちゃんらしさ。

 

 

今回の指針は「樹里ちゃんの今の透明感と、冬の感じ。風が強く吹いて動いているのに芯はぶれない感じ」と伝え。
前回よりもより、樹里ちゃんの中に切り込んだ感じにしたいな、と。
可愛い感じよりも中性的、少年ぽい感じでお願いしました。

 

 

この日一番のお気にいり。
表情が好きすぎる。目線が美しい。
虹のように入れたフレアゴーストは多重ではなく1枚撮り。
背景の冷たい青の色合いに凛とした表情が本当に映えます。
ここまでの表情の流れも美しくて、すっと、意識が落ちていく感覚。

 

 

岩場から砂浜へ移動しました。偶然見つけた場所。
波の紋と水分がきれいな影を投影する。
ひとりぼっちで冬の海を歩いているような。
すぐ足跡が消えてしまう。

 

 

遠浅に見えるのはここは防波堤があるから。
すーーっと波がきて、足元を攫ってゆく。

 

 

風紋みたいな波の紋が綺麗な蒼のグラデーションを作ってくれて。
この綺麗すぎない黒い砂浜のアオは青じゃなくてブルーグレィみたいになる。それがどんよりした透明な蒼でまた綺麗だと思うだよね。

 

 

被写体がカメラを見ない写真が好きです。
撮影者と目が合わない。

 

桐島は被写体の「顔」を撮りたいのではなく、存在を撮りたい。
存在って、何かというと、「心」かな、って思う。
心って何かな、って思ったら「思考」だと思う。

 

その人が考えていること、心に残っていること。
それを、撮りたいな、って思うんです。
きらきら、波間の光が似合う樹里ちゃん。

 

 

本日のロケの運転手はまこちゃんでした。(樹里ちゃんの旦那さま)
いつも一緒にご飯とかしてくれて本当にありがとう。もちろん娘ちゃんの桜ちゃんも一緒です。
撮影中はまこちゃんが桜ちゃんを見てくれてました。

 

 

全く変化しない人はいないと思う。
変わり続けていくことが生きて行くことだと思うけれど。その芯が、美しくて、変わらない人はやはり、美しい。
そう思った樹里ちゃんでした。

 

今回の撮影データをまこちゃんが「今までで一番いい!」と言ってくれたそうで(笑)それが何よりうれしいです。笑
また欅坂のてちの話をしてください。笑
運転&サポート、本当にありがとうございました。

 

 

また是非宜しくお願い致します!(撮影もご飯も。笑)

 


Viridianblueの森の中で@aria

 

ariaを撮らせてください。と、一年ぶりのお願い。

 

溶け合うようなずるずるした雰囲気で、陰鬱な、隠者のような、探し物をしているような。

でも、暗がりの中で惚けているような。

 

 

たぶん、共有している世界は言葉にするなら、そんな感じで。

何があったとかは、お互いにあまり聞かないけど。撮影前のお互いの精神イメージというか、落ちている部分の深度がちょっと似ているかなぁ、と思ったので。

自分の心象そのままに、撮らせて貰いました。

 

 

掴みたいわけじゃないけど、最後の一粒みたいに思えて。

でも、実は、求めているのは光じゃなくて、雫だったのかもしれない。

 

 

触れたら壊れてしまう。

求めているわけじゃないし、欲しいわけじゃなくて。

ただ、それは綺麗なものだとは、思う。

 

 

大切にしている温度、熱、質感、とか。

そういうのを、撮らせて貰っている感覚。

 

ariaと、絵の話しが出来るのがとても嬉しくて。

なぜか思っている事が同じだったりして。

目の前にキャンバスがないけど、まるで一緒に絵を描いているような感覚になったりして。

 

 

雨音が聞こえる中、透明な光と遊ぶ。

そんな強い光はいらなくて。少しだけ。

 

 

繊細な星がきれいで。可愛いとかじゃなくて、とてもきれい。

星を集めたらこんな星図になりそう。

雨の蒼が写り込んだ黒が、天幕の紺色になる。

 

 

その、先を求めるような気持ちはあるけど、今は「そこにあるもの」を美しく認識出来るように、気をつけて撮影しました。

悲しくて、暗くて、どこにも行けない気持ち。

だけど、美しい、その景色。

 

 

哀しいのと美しいのはちょっと似てる。

あなたのことだとしたら、楽しい毎日がそりゃあ一番にきまっているけれど。

自分には当てはまらないんだなぁって。

たぶん、ariaもそう思ってるはず。

 

 

怒りみたいな強い感情はもう何処かへ消えて流れてしまって、ずっとないけど。

ひたひたと浸み込んで、水張りをした紙へ滲んで消えないような。

そういう感覚を、閉じ込めたいと思った。

 

ariaの心に触れたというわけじゃなくて。心は見せてくれているのだけれどね。

通じ合うわけじゃない。踏み込んでいるわけじゃない。交流しているわけではない。

深度が、少し似ていた、感覚。

 

 

どうしたって消したくない灯りはそのままで。

それが最後の砦のように、自分の心を守ってくれるような。

 

森のにおいと、雨音と、水の音を聞きながら、撮影しました。

とても美しくて、シャッターを押す音さえ聞こえないくらい。

 

この世界でよかった、って。思いました。

aria、撮らせてくれてありがとう。

 

フィルムは現像に出すので、もうちょっと、待ってて。

 

 


存在しないひと。@木桃いつな

 

島根の旅の目的のひとつ。

木桃さんの撮影。撮影する主題とスタイリングだけ決めていて、撮影場所は前日に決定。

朝5時起き、6時から撮影。

まだ、朝の気配がほの仄蒼く残る山陰の朝。

 

 

灯りはつけないで、緩く差し込む朝だけ。

まだあちこちに夜が残っているような濃淡。真っ白なドレスに少し夜が残る。

 

 

白いドレスは薄くて綺麗なリネンでできていて。

お互いが好きなデザイナーさんの作品。

毎回そうだけど、何を撮るかということを話しているうちに、どこへ行きたいのかを決めていくような感覚。

それは会話じゃない時もあるし、言葉でもない時もある。

 

 

美しいと思うからシャッターを押すのであって、「きれい」でも「かわいい」でもないと思う。

「こわい」とか「つめたい」はちょっと似ている。

感覚の共有。

 

 

そこに座っている被写体を撮っているのではなく、お互いの心の中の一部を引きずり出してここに置いたみたいな感覚。

それが何かと言われたら言葉にできないけど、写真にはなっていると思うから不思議。

 

 

かなり、暗いけど、それが良くて。

ざらりとした質感。ファインダーでは真っ黒に近い。

浮かび上がる透明な影と白い足。

 

 

人間の写真を撮っているというか、精神を撮っているという感覚。

ポートレイトではなくて。そんないいものじゃなくて。

彼女の顔を、撮ってるわけではないのです。

 

 

この百合を見た時にものすごく怖くて引き込まれて。目が離せなくなったのは。

植物が持つ命の落ちてゆくさまが、見えたからかもしれない。

雨あがりの美しさと、朝が消えてゆく、かなしさと。

水を含んだ空気が、山百合のけだるさに馴染んで。死の、においみたいだった。

 

 

その百合たちの園に、ふわりと混ざれる存在。

木桃さんは存在しないけど、存在する不思議。

 

あるひとに「このモデルさんは『こう撮られたい』っていう意思がないから、どこでも入れるんだろうね」と言われたことがあって。まさに、そうかも、と。

木桃さんは旅をするひとで、どこにでも行けるんです。でも、どこにも行けない。

 

 

その、線引きみたいなものを、必要とする時があったのかもしれないけど。

なんていうか、だんだんよくわからなくなってくる。

 

表現したいものを形にしていく作業よりも、ただ、脳内の仄暗い蒼い色がずるずると引き剥がされていくような。

 

 

それでも、静かな世界は水の中のようで。

光が少ないからこその、溶け込むような紺色。

 

 

前回の撮影が台湾だったのを思い出して、ちょっと懐かしい。

でも、ここは台湾よりも、パリよりも遠く感じる。

 

 

どこでもない場所というのを探しているわけじゃないし、そういうのを求めているのはもういいと思うけど。

こうして心の中をざくざくと削って洗い出すのは嫌いじゃないし、きれいなものになると思う。

 

 

その、幻のような一瞬に、シャッターを押す指がありますよう。

そのまま消えてもいいような、瞬間の光が、美しかったです。

 

 

木桃いつなさん、被写体ありがとうございました。

 

撮影は他郷阿部家でした。

 

 


和の明かり展@目黒雅叙園

 

目黒にある雅叙園という古風で和風な場所で催し物が毎年開催されているのはなんとな〜く知っていて。

和の明かり展も何回か目の開催ですが、初めて行ってまいりました。
百段階段というのがどういう感じなのかわからないまま「階段は嫌だなぁ…」とかよく分からないまま行った桐島を待ち受けていたのは豪華すぎる(いやもう意味分からないくらい)エレベーター。
ちょっとほっとして開いた先にこの馬です。

 

 

 

宮沢賢治からインスパイアされたという作品。真鍮の響く音とフレネルランプと硝子玉。
真鍮の漢字ってなんでこう、色気があるんだろう。
和風って響きがあまり得意ではないので敬遠してしましたが、こういうのもそうか。和風なのか!と驚き。ちょっと視野が狭かったようです。

 

 

一つ一つの部屋は奥座敷のようになっていて次元をワープしたかのような錯覚になります。
こんな大都会のど真ん中に、エレベーターで上がった先に忍者屋敷のような階段があって、高低差無視したような天井絵が豪華絢爛。
これ、誰のために作ったの?と思わず調べたくなりました。

 

 

階段にもこぼれ落ちてきたような植物。
猿が覗いています。

 

 

このお部屋は切り絵作家さんの影絵が展示してあって、清流の森がテーマ。
だからカワセミとかヤマメとか日本の清流の生き物がたくさんいて可愛いらしい。

 

奥行きと影の陰影が素敵。
ちょっとづつ色合いが異なっていることで奥行きを感じるんですよね。素敵。

 

 

この部屋は「草丘の間」と呼ばれていて、展示の動物たちと天井絵の植物がとても合っていて心地よい雰囲気。足元は写っていませんが、人工芝が敷いてあってふかふか気持ち良いのです。
アケビの蒼が美しくて、展示の植物の緑と撮ってみました。

 

これはねぷたの部屋の天井。この部屋は日本画じゃなくて木彫りの立体彩色木彫!
柱も全て彩色されていて、豪華絢爛!なのですが、思わず掃除が大変そう…と思ってしまう。
パタパタだと傷つけるからブロアーかなぁ???とか思いました。

 

 

建築自体は本当に、忍者屋敷!?と思うくらいの不思議な設計。
これ、ものすごい斜めになってるけど多分、斜面に作られているからですよね?現実の世界じゃないみたい。アトラクション的な世界。

 

 

明かり展なので明りが抑えられているのですが、そもそもここは料亭だから夜に人が多かったはず。
夕暮れ時はこんな感じだったんだろうなぁ。

 

 

ちょっと暗いですが、実際こんな明るさ。
天井を撮ったものですが、場所を知らないと天地奥行きがよく分からないと思います…。
全ての天井に絵が描いてある。

 

 

組み木の展示がいくつかあって、その幾何学的な美しさはモスクを思い出しました。
きっとイスラムの方が見たら感動すると思うな。
自分たちはタイルと石膏で作り上げた世界を、東の最果ての国が木で作ってるんだもん。
芸術は、もっともっと分かり合えると思うのです。

 

 

星光の間という響きが素敵で、展示物も星の光を彷彿させる草木のものでした。
落ち葉を照らした展示がとても素敵で、これも宮沢賢治とか稲垣足穂の世界っぽい。

 

 

紫陽花の明りがとても綺麗だなぁ、と思ったのですが、白い蛾がたくさん集まっているようにも見えます。
透明な翅が美しい。

 

日本の芸術表現対象ってやっぱり植物や昆虫、自然物がとても多くて自然に恵まれた国なんだなぁ、と改めて思います。
森と川と海に囲まれた国。って当たり前に享受して簡単に破壊して暮らしているけど、太古の昔から存在しているとありがたいものだという事を忘れてしまう。

 

 

発光する硝子と文字と、光らない黒木と金属。
対比が宇宙的で美しい。

 

 

命の動きに見える、水にも見える硝子の光。
動いているみたい。

 

 

展示はひとつひとつだけど、部屋ごとに俯瞰で見たくなる世界観です。
硝子が好きなので、この部屋に浮かぶ明りがとても好きでした。

 

 

足元に映る文字。どうとでも読めるけど、ひとそれぞれ心に映る文字が違う。
桐島は「FORGET ME NOT FORGET」が目に入ってきました。

 

 

ここら辺あたりまで来ると、脳を変な方へ使っているので、ちょっとトリップしてきて心地よくて。
月明かりのススキに誘われる。

 

 

この部屋、鏑木清方の作品。やっぱり、と。
見た瞬間、天井絵に心を奪われてしまった。瞬間、自分の心を悟られたような十字架。
清方さんはあの人が好きだった画家でした。こんな所にも大きな作品があったなんて。
きっと知ってたんだろうなぁ…一緒に見たかったなぁ。なんて。

 

 

こっちから撮ったら扇がよく分かる。十字架には見えないからこっちの方が綺麗かも。
同じ部屋なのに角度で印象が変わる不思議。

 

あと。ホタルの絵を撮影していたら、きらきらと絵が光り出してとても気持ちが良かったです。
とても綺麗な部屋でした。

 

 

最上階はそれに相応しい宇宙の広がりのような部屋。
下は深海のようであり、闇のようでもあり、川のようでもある、釉薬が美しいタイル張り。
襖を抜いた空間には浮かぶ生花。空には風鈴。

 

 

江戸風鈴の鋭利な切り口が凛とした音色で心地よく。タイルのひんやりも心地よく。
ひとの流れはありましたが、部屋の隅にクッション座布団が置いてあったりして。
座敷童のようにこじんまりと座って眺めるのが心地よかったです。

 

 

座った位置からじゃないと見えなかった目線。
提灯についた鳩の切り絵なのですが、なんとも北欧的。背景の風鈴が玉ボケで可愛い。

 

 

あと。奥の間にあったこの蒼い雫がとても美しくて。
硝子の持つ質感て水の其れに似ていると思うのだけど、形になると余計にそう思います。

 

 

写真って動いているものを止めることも出来るし、止まっているものを動かすことも出来るんだけど。
自分の思考をそのまま投影することで、自分が見えている世界を作ることが一番面白い。
水は流動する物質だけど、硝子は固定されている物質。
でも、硝子は熱することにより再び動き出すし、水は凍らせることにより固定することも出来る。

 

 

写真はその形を変えて雫を動かすことも出来るし、光を操ることも出来る。
なんだか、錬金術っぽくてとても楽しいし美しい。

 

 

明りは影を生み、影は形を生む。
その二つを一つの存在として写し込むと立体感になるし奥行きになる気がする。
でも、そのバランス(配分)が難しい。難しいと思うからこそ、余計にありのままに撮りたくなる。
きっと、障害になっているのは自分の思考。
目の前にあるそのままが美しいのに撮れないのは自分の思考が変なフィルターをかけている。

 

 

青色の硝子を追いかけていたら、ふうわり風鈴が魂に見えて。
陰影を追いかけたら彼岸のようでした。

 

そういえば、お盆休みでしたね。

 

 

明かりに集まる蝶々蛾のように。写真に魅入られた自分は夢中で撮影しておりました。
いろんな目線で捉えることが出来るし、空間とのコラボもとても素晴らしい展示。
会場は寒いくらいに空調が効いているので大変快適です。笑

 

行きに「これを登るのは無理!」と思っていた凄まじい坂は早々に回避して品川までタクシーした軟弱者です。
久しぶりに見応えのある素晴らしい空間でした。

 

ご一緒いただいたRieさん、YURIさん、ありがとうございました。

 


A Midsummer Night's Dream.

 

夏至の日の昼間は人間が祭りを開き、夜は妖精達が祭りをするんだと。
イギリスの古いオハナシで読んでから、「夏至」というなんとも日本的な響きが急に妖精王国とつながって、とたんに色味を帯びて力を得る。

 

 

子供の頃から空想がちで、一人遊びが一番好き。
自分の中にある世界を広げることが一番の喜びで、言葉にするよりも絵を描くことが好きだった。
それが今はカメラになり、写真という光遊びになって。
keino glassさんの作品に光を灯すことを何よりも楽しみにしていました。

 

 

実は何年も前から集めさせていただいているこの作品たちを、展示方法で拝見していたように。こうして光を入れさせていただくのは実は初めてで。
できることは知っていたのですが、とっておきの、とっておき。みたいな感じで。
「そのとき」を待っていたのです。

 

 

夜中のサァカスは動物じゃなくて光が主役。
三角屋根に三角旗。森の中の魔法のサァカス。
さあさあ。夜の帳に魔法をかけて。

 

 

魔法の教会に光が灯ると一気に泡が立ち昇る。
妖精たちのパイプオルガンが聞こえるよう。

 

 

氷から生まれたような、水晶から生まれたような、柔らかくもある結晶の小部屋。
真白な髪の美しいお姫様が住んでいるのです。
この天窓が見える小窓から、世界を眺めていらっしゃる。

 

 

月が青白く一層輝くと森の中に光の雨が降ってくる。
それは妖精たちの夏至のロンド。変拍子でいつのまにか歌い手が増えている魔法の踊り。

 

 

森の中は樹々の隙間を縫って、夏至の群青が染み込んでくる。
水の器の花々の青がいつのまにか手のひらに写り込んでいる。

 

 

きらきらと曹達水のように森の中から還ってゆくのを見たら、夏至祭の終わり。

 

人間は葡萄酒を飲んでベッドに戻りましょう。
今年も美しい季節に会えたことに感謝を。
おやすみなさい。 良い夢を。

 

 

 


桜の記憶。

今年は桜をあまり撮影しない春でした。

毎年だって何回も撮るわけじゃないけど、PhotoCafeと、研究室の2回だけ。

そうして撮った桜にもやっぱり自分自身の思考が写っていて。なんだか、べったりしている気がするので文字にしてここに置いておこうと、思います。

 

 

 

雨上がりに撮影したっていうのもあるし、きれいな曇りの日だったのもあるけど。
この日の少し寒い感じとか、土のにおいとか、湿度を含んだ透明感とか、を。
残したいな、と思ったのは久しぶりな気がして。

 

たぶん、PhotoCafeだったらこの色にはしてなくて。

 

 

PhotoCafeで撮ったのはこっち。
これはこれでね、とても好きな写真。

 

で、この写真が撮れたから、撮れた写真。

 

 

同じカメラ、レンズで撮影。

雨あがりの滴が涙みたいで。でも、それだけじゃなくて、やじろべぇみたいな、不安定さと。

どこかバランスがとれてしまっているような曖昧さが美しいな、と。

 

触れたら、消えてしまいそうな怖さが、ソメイヨシノにはあるような気がして。

怖い、といってもこの日に撮った桜たちは怖い感じがしないのが不思議。

 

 

この広大な土地を世話していたボランティアの植木屋さんが亡くなって。

世話をしてくれる人がいないらしい、伸び放題の桜。

だから、地面につきそうなくらいに枝を伸ばし、折れている子もいるけれど。

それはそれで、美しくて。

 

その話を聞いているからだと思うのだけど。植木屋さんの気配を感じるような。

 

少し近い人に、植木屋さんのおじさんがいて。その人のことがとても好きで。

居なくなってしまった事が信じられない。「お葬式」ってやっぱり大事なのかも、と大人になってから思います。

 

 

春はお彼岸もあり、亡くなった人を思う季節でもあります。

桜は好きじゃないけど、きっと好きであったろう花だから。その人を思えば、桜も綺麗だと思える。

 

向こう側、の世界。

 

 

その手すりに捕まって、こっちに手を振っているように思えた。

大好きだった植木屋のおじさん。笑顔が素敵な人だったから、そう思うんだろうな。

 

 

もちろん、そんな風にまだ全然思えない記憶もあり。ずっと赦せないままで生きていくことが自分にできることなんだ、とか思っているのだけど。

 

時間が経って、景色を何度も眺めているうちに、自分が歳をとってきて。あなたの年齢に近づいている。

 

きっと、こういう景色を見たかな、とか。
もしかしたら、似た匂いだったかも、とか。
同じ場所でこうしたかったな、とか。

 

いろいろ。いろいろ。 やっぱり、想ってしまう。

 

 

悲しい気持ちではないと言ったらうそになるけど。
こうして空に向けて写真を撮るのは嫌いではなくて。
前向きな気持ちではないかもしれないけど、決して後ろを向いているわけではないんだ。

 

この景色を、見せたかったな、と。思うから。シャッターを押す。
そして。死んでも忘れないように。
そっち側にいるあなたに、全部、全部、見せてあげられるように。

 

愛しい、と。思いながら撮影したいな、と。 思った春でした。

 

 

 

 

 

 

 

【写真展のお知らせ】

《保護猫・そと猫・ウチ猫》

2017.04.01〜05.08 開催

東京キャットガーディアン10周年企画!

月1猫撮影会ネコサツ3周年を迎えた桐島ナオによる3年分のTCG写真と旅をしたモロッコ猫写真、ウチの猫レオン写真の展示を大塚シェルターにて開催します!


この美しき世界に @aria被写体

「撮影させてもらうのは少し、久しぶり。」

 

少し、と思ってたのに実は2年も経ってた。

 

あーりん、お久しぶり。

お久しぶりです、きりしまさん。

 

そんな静かな笑顔で向かい合うような、時間なんて本当は関係ないみたいな。

ただ、そこにある美しい景色。 を、撮影してきました。

 

 

水が似合うなぁ、と思って。

ariaに被写体をお願いしました。

 

ariaに被写体をお願いするのはこれで4回目。

今回は琵琶湖で撮影をしています。忙しいスケジュールの中、ありがとう。

 

 

ariaとの付き合いは、もう、書くと長くなるので割愛で。

でも、自分の生きてきた方法を肯定されているようでとても嬉しい。

桐島という人間を15年以上見てくれています。

そして、こうして変わらず目の前で対等に対峙してくれている。

 

 

植物が好きなのと、水が好きなのと。

普段そこまで主張しないけど、撮影したものや、書いた絵を見るとわかる。

ariaの作る世界、自分が作る世界。

 

撮影者と被写体って両方とも同じ目線で作り上げる心地よさがある。

どちらかが上でも下でもダメで。

呼吸をするように同じ世界に溶けてゆく感覚。

 

あぁ、写真を撮ってたっけ、って忘れてしまうくらい。

 

 

 

夜明け。

水面に少し灯が映って。

 

暖かな水の温度が、生き物の中にいるような、心地よさ。

夜明け前なのに、水がとても温かくて。

桐島も水の中で撮影しているので、びっくりしました。

 

 

海じゃないから、波紋がとても美しくて。

ariaが動くたびに生まれる生き物みたい。

 

撮影していると、息をするのを忘れて一瞬意識が遠のくことがあります。

久しぶりに感じました。

 

目の前の景色が、美しくて、その世界の中に自分もいて。

ファインダーの中の世界と脳がつながったような。

 

 

でも実はMFの単焦点だったので追いかけるのが難しくて。笑

それでもなんとか。食いついてみました。

 

美しい世界は、声をかけたら壊れてしまいそうで。

少しだけ、髪をあげて欲しい時に声をかけたけど。

あとは、ariaの好きにしてもらっていました。

 

 

 

その人が大切にしている世界、その人が抱えている世界。

写真を撮ると、その中に自分も入り込んでしまう錯覚になる時があります。

でも、この四角い世界は僕の世界。

 

不思議ととても静かで、宗教画を見ているような気持ちになりました。

 

 

植物と人間と水。何が違うのだろうか、と。

透明な水の中には足元に魚が泳いでいて。

同じ世界の中で違う生き物が生きている。

 

たまたま、ここに、同じ時間に、生きていて。

こんなにたくさんの世界の中で同じ空間に存在する。

 

そして、自分はその世界をこの中に焼き付ける事が出来るという、喜び。

 

 

 

真面目に、撮らせて頂きました。

本当に、心のそこから全力で撮影に挑んで。笑

でも、力は抜けていて、良い写真がつくれました。

 

今年は色々思考が巡っていたけれど、やっと自分自身をきちんと沈めることが出来たと思う。

思考は浮ついていては結論が出ない。という持論。

考えて考えて自分の意識を水底に沈めてゆく感覚。息が出来なくて、それでも答えを探すと。

 

少しだけ、進むべき道が見えるような。見えないような。

 

 

結論や理解や愛が欲しいんじゃなくて。自分自身を納得させて黙らせることが出来たらいい。

それが出来たらまた、進むことができる。

 

ariaを撮っている間、とても心地よくて、美しくて。幸せでした。

撮影させていただき、本当にありがとうございました。

 

 

鳥取のお話しや美術のお話しやお仕事のお話しや、いろいろな事をお話し出来て嬉しかったです。

また、逢える日まで。

ariaに恥じないよう、僕はもっともっと、心を磨いておきます。

 

大切なものを撮らせてくれて、ありがとう。

 

 

 

 

PhotoCafe合同展 9月に開催!

 


隅田川花火大会

ここ数年、デジタル一眼レフカメラを持ってから花火大会というものを真面目に撮るようになりました。

フィルム一眼レフの時には撮影していません。撮る気がなかったんですね。

確認できる、というのが何より強みなデジタル。その日の撮影をその場で確認できるから無謀でも撮ってみよう!と思わせる。

 

で、無謀にもまた撮ってみました。

(過去 2015流山 2015戸田公園 2015隅田川 2014流山 2014手賀沼 2013取手 2011伊佐沼(ロスト))

 

 

風邪で結構流れてしまうけど、それでもやっぱり綺麗。

ふんわりと、線を一緒に。

 

 

一瞬の光。

ファインダーは閉じてしまうから、肉眼でタイミングを見る。

ある意味カメラ越しじゃなくて自分の目で見ている花火。

 

こういう系の撮影方法は今この日記を書くために見たら2011年からだったわけで。

今年はもうちょっと進化したい。

 

 

と、いっても花火は今年はきっと1回しか撮らないので。

去年しつこく3回も撮ったから割とすんなり撮れる。

 

今回の隅田花火は浅草寺境内から。

7月のネコサツ!が終わって、18時過ぎてから大塚を出て、上野駅からサクッとタクシー。

するっと浅草寺に入って三脚準備。

 

 

と、言っても花火がどのポイントからよく見えるなんて分からないので打ち上がってから移動。

そんな感じのゆるい今年の撮影。

でも、撮りたいのもこんな感じでゆるいから、いいんです。

 

いそぎんちゃくみたいな、深海の花。

 

 

一瞬、火花が散る。

ざぁって、雨みたいに流れて。

 

燃え上っているみたいだった。

 

今年は花火を無心で見た気がする。

どうしても花火って「誰か」を想う。

 

お盆に開催するっていうのもあるし、花火って元々は鎮魂のためで。

いなくなった人と一緒に見るもんだって、思う。

 

 

今年は、なぜか無心で見てました。

 

心がなかったわけじゃないけど、無心って書くと心がない、って意味になってしまう、か。

ちょっと違うんだけど。

「無」ではあったかもしれない。

 

それまで、ちょっと色々、今年は心がバタバタしたような。気がして。

前半戦。終わりました、って。誕生日が過ぎて。

 

 

6月の誕生日が終わって7月になると、後半戦の気分。

長い長い7月が終わって、一呼吸つける。

でも、これからまた暑くなるから気をつけないと。って遠くにいる自分が言う。

 

 

今年は、無心、というか。

自分自身を投影して花火を撮っていたような気がします。

 

死んだ人を想うように、自分の半生をぼんやり眺めていたような気持ち。

後悔とか反省とか、そういうんじゃなくて。単純にぼーんやり。

あー、これはこれで綺麗だなぁ、って。

 

 

でも、この花火が撮れた時はとても嬉しかった。

ちょっと、体温がぶわって、上がった気がしました。

 

高い高い火球。 あ、これは、大きいな。ちょっと引こうかな、って。

400mmから80mmに変えた瞬間、

 

ざあって、一瞬で空に青い花が咲いた。

 

思わず口を開けて見ていた気がします。

青い花火って、本当に綺麗。

 

今年はこういう小さくたくさん一気に咲く花火がいくつかって、とても綺麗でした。

 

 

で、今年の想いを込めた写真。

 

宇宙から生まれたみたいな光。

まだ、星にもなれない、空気と意識の半々みたいな。

 

もっと綺麗に撮れた1枚があるのですが、それはここには載せません。

 

9月にあるPhotoCafe合同展示に、添え役ですがだしますので。

良かったら見てやってください。

桐島が10年間やっている写真教室の生徒たちによる展示会、5回目です。

 

そして、来年も花火を撮れますように。

色々頑張ります。

 

 

PhotoCafe合同展 9月に開催!

 


水面の灯り。

お仕事の帰り道。

乗り換えの上野駅のホームから見た夕焼けの最後がとても綺麗で、慌てて改札を出たけど。

まぁ、間に合わず。

きっと、この夕焼けで蓮池を撮ったら綺麗だったろうなぁ…とか。思ったのですが。

 

 

陽が落ちたあとの最後のグラデーションがとても綺麗に葉を透過してくれたて。

ちょっと、待っててくれたみたいでとても嬉しい。

 

 

そして、すぐに紺色の空に。

でも、東京の空は明るいのです。

 

暗い場所を見つけて樹からこちらを見つめている月を。

 

 

夕焼けに誘われて不忍池にやってきたけど。

偶然、今日は上野不忍池灯籠流しでした。

弁天堂が見えるボート池で、蝋燭の入った小さな紙の船が浮かびます。

 

ぼんやりスカイツリーも見えてるけど。

蝋燭の優しい光は都会のギラギラの光に負けてしまって。

あんまり綺麗に見えないのです。

 

 

なんとか。暗い場所を探すけど。

それでも、なんだか、なんだか。うーん。

 

望遠レンズにでかい三脚を立てているカメラマンがどどん、と列をなしていたので有名なイベントだったのだと思います。

初めて、知りました。。。綺麗です。

 

灯りを流している間中、ずっと僧侶たちによる読経が響いて。詠歌かな?

ちょっと、詳しくないのですみません…。

でも、東京で虚無僧(あのカゴかぶって尺八吹いてる人です)を見たのは初めてだったのでびっくり。

本格的な会なのですね。

 

 

あー。もっともっとビルの灯りがなかったら綺麗なのにー。と、思いました。

真ん中で篝火も炊かれていたのですが、やっぱりビルの灯りの方が目立ってしまって。

 

うーん…と思っていたら、隣にいた小さな女の子が「おかーさん!これ、ラプンツェルみたいだね!きれーだね!」と言っていて「そうそう…」と心の中でお返事してたら「え?何言ってんの?ラプンツェルは空に飛ばすから違うじゃん」と…母…。

いや、本質としては同じだし、灯籠の意味も一緒だし。娘さんの方が的を得てるよ!!と言いたくなりました…。

むすめよ…母の言うことよりも自分の感性を信じてまっすぐ育ってね…と念じておきました。

 

 

結局、池をぐるりと一周しました。

そのうち人も少なくなってきて、流れ着いた灯りがぽつぽつと。

岸に近づいている場所を見つけて。ぼんやり眺めて。

 

今日は58mm単焦点1本しか持ってなく。しかもMFだったので、見えない見えない。笑

最初はなんで望遠レンズ持ってなかったの...とか思っていましたが。

結果としてはこのレンズだけでよかったです。

 

 

確かに望遠レンズで切り取ればいい感じに背景が圧縮されて「きれいな写真」にはなるだろうけど、かなりの人がそういう写真をここで撮っているはず。

じゃぁ、自分もそれに習う必要はないかな、と。

 

ぼんやりと、揺れる灯りをみながら、暗がりで、さらに暗いファインダーをみていました。

 

 

ゆらゆら、くっついたり、離れたり。

 

いつのまにか読経は終わって、ぬるり、とボートのおじさんが現れてオールでいくつかの灯籠を沈めていきます。

音もなく消えて、池に沈んでいく灯りをみながら。

 

気持ち良いピントリングのトルクに、じっくりと焦点を合わせて。

久しぶりに「写真」を、撮りました。

 

 

ばらばらと、浮かぶ、灯り。

 

都会の中の黒い池に浮かんで、それで、今日が終わればお炊き上げ。

 

供養、というのは生きている人のためでしかなく。

肉体がなくなればそれまでの記憶や、感情や、想いも、すべて無に還ると思っています。

輪廻や死後の世界はあればいいね、と思っていますが、生きている人のためであると思ってもいます。

 

 

ぽつぽつ、灯りの消えた灯籠に。

寄り添うような灯り。

 

物に気持ちを寄せるのは、生きている人間だけ。

そこに自分の気持ちを乗せて、どうにかして貰ったつもりになる。

どうにも、ならないから、どうにかして貰ったことにしておく。

そうすることでしか、何も片付けられないんだと思うけど、何もしないよりずっといい。

 

 

とぷん、 とぷん、 と。 音もなく溺れるように、池に消えてゆくいくつかの灯籠が、とても綺麗で。

 

きっとラプンツェルみたいにこれが空に消えていったら、どこかに行けそうな気がするのだけど。

池に沈んでいくだけじゃ、どこにも行けなくて。ずっと此処に思念がたまって、澱みになって蓄積していきそうだな、と思いました。なんか、日本的だな、って。

 

生きている間に、美しい物をみて、生きている自分の為に、残すのだと思う。

そうして、記憶を水底に沈めて、ずっと忘れないでいられたら。

死ぬ直前まで、覚えていられる気がしてしまうのです。

 

たぶん、今日の灯籠の美しさは、忘れない。

あなたに、見せたかったな。

 

 

 


今年の、6月の紫陽花。

紫陽花が咲くと、あぁ、一年経ったなぁ。と思います。

桐島が生まれた月が6月だからです。

 

 

仕事場の近くの小さなお寺さん。

ころころ、可愛い水の玉がいくつも。

とっても好きな子。

 

 

紫陽花、って紫って書くけど。学名のhydrangeaの方が好きです。

水の器って、意味。

もう、ほんとう。水をたたえたよう。

 

 

どうしても紫陽花を撮影したくて、白山神社にも行ってきました。

数年前に行ったら紫陽花祭が終わった直後でバッサリ剪定されてたという悲しい思い出の場所(お祭り後だから空いてると思った)。

盛りに来るのは初です。

 

 

梔子と紫陽花の組み合わせ。たまらない6月の世界。

しかも八重の梔子、薔薇さんみたいで豪奢で好きです。

 

 

紫陽花って名所じゃなくてその辺に植えられてるのが可愛いのですけど。

やや都会に住んでるとその辺に紫陽花がいないのですよね…。

横須賀にいたころ、歩行者自転車専用道路みたいなのがあって、そこを毎日カメラを持って花を撮ってました。

 

 

で、そこで花も猫も初めて撮影したと思う。

紫陽花を好きになったのも、その道があったらで。

 

写真て、好きに撮れる自分だけの秘密の場所があるか、ないか、で大きく変わってくるのかも。と思いました。

全然特別じゃない場所で、カメラを持ってるのが不審なくらいでしたけど。笑

自分にとっての、特別。を、見出せるか否か、じゃないかな、と。

 

 

真昼間の紫陽花たち。どうしても闇の中の星座に見えてしまう。

点と点を結んで、何かにつなげたい。

 

よだかの星のお話は悲しみしかないのに、救いだと思うのはなぜだろう。

 

 

ひとつ足りない、ふたつ足りない、輪。

でも、完璧なものなんか面白くないから。それでいいか、って思う。

それよりも、光が落ちてくる美しさに目が奪われる。

 

 

木漏れ日の濃淡、光と影、これを絵で描くなら絶対ビリジアンを入れる。

そう思って、色の設定をいじる。

絵よりも描く時間が短いけど、その分「目」を試されている気がする。

1枚の密度が薄くなってはいけない、と自戒するけど、やっぱりシャッターは押しちゃうんだよね。

 

 

でも、絵筆を握ったらこっちの紫陽花しか描けない気がした。

写真を初めて「青」が好きになった。

なんか、絵を描いてた頃は青がうまく使えなくて。どんどん汚い色に見えてしまってダメだった。

油彩は合わなくて、水彩に逃げたのも、透明度でごまかしたかったのだよね。

 

 

こんなべったりした青。沈んでしまいそう。

ウルトラマリンブルーに、紺色。どくどく、流し込んだみたいな。

 

それでも、息ができるのは、写真だからかもしれない。

一瞬の瞬きみたいに、世界を写し込めるから。

それに甘えてしまうんだと思う。

 

 

細かいレース細工みたいな柏葉紫陽花も好き。

細かく細かく、描いていく気持ちで。

 

 

正方形のはiPhone写真。

テーブルフォト教室の帰り道、次の教室の時間があって急いで駅に向かう途中。

ひどい!!!と言いたくなるくらいに好みの紫陽花がたくさんいて、ほんとに困った…。

EOSMちゃんを出そうかと思ったけど、時間がほんとになかったのでiPhoneでさっくり。

 

 

でも、さっくりできないくらいに素敵に色が抜けている紫陽花がずっと咲いているのです。

ひどい!!ちゃんと撮りたい!!

 

あー、、、この子なんか好みすぎてじたばたしてしまいそう。

でも、大荷物&急ぎなので、泣きながら。

 

 

旬の超綺麗な紫陽花よりも、枯れかけて色が抜けた紫陽花がとにかく好きで。

枯れた花の方が好きなのもあるんですけど。

色が抜けて彩度が低くなっていくのが、意識が薄くなっていくみたいで。

なんとも言えない世界になっていると、思うのです。

 

そんなわけで、素敵な紫陽花を前にじたばたしていた桐島でしたが(時間も遅くて暗かったしね…)…

 

 

6月の最後の最後にこんなに素敵なやや枯れ紫陽花の群れが!!

しかも昼間。京都です。

神様ありがとう。。。。!!

 

 

ひとつが、大人の頭よりもかる〜〜く大きい紫陽花。

ちょっと野良紫陽花っぽいけど、剪定はしてもらってるみたい。

もう、砂漠の薔薇ならぬ、砂漠の紫陽花があったらこんな色だと思うのです。

 

 

思わず駆け寄ってしまった光景。

触ったらパキン、て砕けてしまいそうな色彩の中に、まだ鮮やかな紫陽花も。

撮っている間中、幸せすぎました。

 

 

同じような構図ですけど、自分が見たいので載せます。笑

 

もー。ほんと、ずーっと見ていたいくらい完璧な紫陽花たちでした。

 

 

この、隙間に埋まって死にたい…とか思ってしまった場所。笑

ちょっと、毎年行きたい。。。です。

 

ひとりだったら、ずーっっと撮ってると思います。

大量の紫陽花、漠然とした意識の塊みたい。

 

 

だからこそ、ひとつ、に目が行くのかもしれない。

向き合う、って言葉の上辺だけじゃなくて。

 

自分自身がしたいことはなんだろう?と、思うのです。

 

紫陽花の水無月が終わりました。

夏、ですね。

 

 

 



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