光と闇を探す異国@木桃いつな

京都に二日間滞在し、三日目に神戸に行きました。
神戸は実は久しぶりで。3年ぶりくらいかな?
PhotoCafeで来た以来です。桐島の中で横浜と神戸と函館がとても似ていて。
全部、異人館と海と坂道がある街なんです。情緒ある建築が好きなのですが、それがまた海が近い。というのがいいですね。
海の近くで育ったので、青色の海が見えるとなんだかほっとするんです。
 

でも、まず向かったのは喫茶店。にしむら珈琲店の北野店。
このお店は大阪のnoriponさんに以前教えて頂いて。神戸に行ったら絶対行きたい!と思っていたお店。
とてもクラシカルな内装でドキドキです。
それもそのはず…阪神震災の前までは会員制の喫茶室だったそうで…どうりで重厚なはずです。
クラシカルホテルのような趣き。
葉巻が似合います。ここは禁煙にしないで欲しかったなぁ…。。。
 

窓辺でくつろぐ木桃氏。
深窓のお嬢様のようです。笑
 

木桃氏がケーキの後に食べた(ここ重要です)珈琲ゼリー。
なんてクラシカルで芸術的!!!!
なんか、感動です。
 

桐島はキッシュとオペラを頂きました。
ケーキでは一番好きかもしれないオペラ。ちゃんとリキュールが効いててすごくしっとり。
また、珈琲と似合うんですよねぇ。
本当は二階のレストランに行くはずだったのですが、貸切営業なのでした。残念。
きっと、また行きます。すごーく気に入りました!
 

その後は異人館散策と撮影に行きましたよ。
何故か、弘前を思い出すこの、萌黄の館。
透明感あるこのサンルームがとにかく好きで。
ずっと、ぼんやり海を眺めていたくなります。
 

心象、というのを考えて撮影する事はないのですが。
それでも、心象写真にしかならない事が多いのは。
写真で何かを昇華しようとしているからかもしれません。
もしくは、写真で何かの答えを見つけたいと思っているから。
 

自分が追い求めているものは、もう存在しないけれど。
それでも、形骸化してしまった残骸のようなもの。
その、輪郭や手触りだけでも、どうにかして掴みたいと思っているのかもしれない。
 

亡霊のように彷徨う、それに、どうしても触れたいような。
それは、自分自身のような。そんな感覚に近いかも。
 

闇ばかりを求めては本質は得られない。
光ばかりを求めても答えは出ない。

表と裏は同一のものであり、光を見れば闇を触る事になるのと同じ。
いつだって、自分の内側のザラついた部分を撫でている気分になる。
 

真正面から向き合う被写体の人はあまりいません。
この、居抜く瞳が、木桃さん。
桐島と真正面から向き合って、心臓を貫いてくれる目を持つ人は。
木桃さんと、咲真くんくらいです。
 

何をしたいのか。結果として、何処へ行きたいのか。
自問自答して、出た答えを手に取ってみると。
また、次への疑問が描かれていて。
あぁ、繰り返す事でしか、進めないし、終わりが見えた時はきっと自分の終わりなんだろうな。と。

なんだか、漠然と、思った旅でした。
 

最後は、ちょっとおちゃらけた写真で。笑
ぶりっこ、木桃さんと。思わず笑いを堪えきれない桐島です。
鏡越しの世界。

木桃さん、被写体ありがとうございました。
これからも、どうぞ宜しくお願いします。
 

 
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うつろう、きもちと水無月と。@木桃いつな

京都へ、行って来ました。
5月ぶりなので1ヶ月ぶり。でも、随分久しぶりな気がしました。
撮影と、休暇を兼ねていたのですが。勿論撮影メインです!
被写体を木桃いつなさんにお願いし、着物のスタイリングもメイクも全て桐島がやらせて頂きました。
 
大正浪漫な雰囲気で、矢羽根の着物。帯は名古屋帯で。
凛とした雰囲気も少しだけ、黒髪できりりな木桃氏です。
 

着付けはして頂いたのでプロの仕上がり。
お太鼓も綺麗です!(桐島が気着けるとどうも自己流になってしまうので。。。)
着物はパリっとしているのが良いですね。
髪の蝶はこの前買ったトルクアータのもの。

とっても日差しが強くて強くて…日傘が大活躍でした。
木桃さんの肌の白さが際立ちます。
(※毎度の事ですが写真は撮ったままで肌の修正など一切していませんよー)
 

哲学の道沿いに咲いている鮮やかな紫陽花たち。
とても美しくて、カラフルなのが新鮮。
鮮やかな世界を鮮やかなままで撮ってみました。
今年は自分の指針を定める為の勉強と挑戦の一年にしたいと思っていて。
あまりに明確な撮影指針を定めてしまわないようにしたいです。
自分の10年以上求めてきたメインテーマに答えが出て、先日120Pの写真集を2冊完成させて。
その、次のテーマに向かっているところです。
(※写真集は販売&WEB公開しません。桐島と直接逢える方のみ、お見せ出来ます)

明確な目標はあるけれど、道筋が分からない。
それで、自分は良いと思います。分からないから、色んな発見がある。
だからこそ、自分は迷う事が出来るし色んな視野を持つ事が出来る。

自分自身のふがいなさも、頼りなさも、被写体の力を借りて。
それで、見つけて行きたいな、と思います。
 

少し登って、詩仙堂。
初めて行きました。

庭を眺める、木桃氏。
 

足がしびれてしまったようです。笑

桐島は、庭の花を眺めるよりも、触れたい、撮りたい、話したい、と思うほうなので。
 

実際に庭に出れると知って、とても嬉しかったです。
やっぱり、絵として眺めているだけよりも、実際に自分がその中に行きたい、と思ってしまう。

触れなければ、感じなければ、何も分からないから。
花も、まず触れたいと思うのです。
肉体の、感覚を通さないと理解出来ないから。
触れる、というのはとても大切な事で、何にもならないとても重要な事だと思うのです。
 

庭の花をiPhoneで一生懸命撮影する木桃氏。
桐島も着物を着ていたので木桃氏が撮ってくれました!
 


羽織は自分のもの。後は借り物です。
絽の一重なので涼しくて快適でしたよー!
 

そして、東から西へ。
毎度お馴染みのVesna!さんへお邪魔して来ました!
7月21日から9月17日まで買い付けと夏休みで長期休暇されるのでその前に!!と。
ご挨拶が出来て本当に良かったです。
 

木桃さんお気に入りのチェブラーシカ。
日本のものではなく、ロシア現地のもの。
歌うんですよ〜。

あと。桐島も密かにファンで楽しみにしているsuiranさんの古本。
「花ことば」の本を木桃氏がお買い上げでした。
ライカの本は桐島が購入してアトリエでひときわ輝いておりますっ。
 

翌日は、夏至だったので。
蜜蝋キャンドルに、鉱石をたくさん並べて。
夏至祭をしました。
錺屋の縁側は本当に気持良いのです。

ゆらゆらキャンドルの灯りを見ながら、のんびりな京都でした。

木桃さん、暑い中被写体ありがとうございました!

 
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君に寄り添うように @aria

緑地での植物との撮影を終えて、大阪城を見て、梅田駅に戻って。
桐島の要望で10年くらい前に行った場所に行きました。本当に懐かしくて。
でも、道なんかばっちり覚えてて。笑
忘れないんです。
 

お城みたいだね、とariaと笑う。
ここで写真を撮った事を思い出す。

この空間に自分は似合わないんじゃないか。
そう、ariaが心配しているのはすぐに判る。
鮮やかな緋色の絨毯にアンティークな金色の眩しい世界。

大丈夫だよ。ariaを包んでいるのは、あの鮮やかな黒だから。
 

八重桜の時の設定と同じだけれど、露出をものすごくシビアに設定して。
コントラストは強く、黒は深いのだけれど。
全ての諧調を丁寧に出したくて。

露出の正解が1つしかない、この写真。
それを見つけながら、丁寧に、丁寧に撮る写真。
 

ariaが背面液晶を見て、とても安心したような表情になるのが判った。

この、色。好きです。
あぁ、本当に。綺麗。
もっと、見せてください。今、ここで。

了解ー…。

僕はカメラを構える。
ariaは其処に立つ。
 

モノクロームの目で見た世界をカメラ越しに見るとやっぱりモノクロームに見える。
この、深くたおやかな黒と、触りたくなるような艶と。
仄暗い、暖かな色彩の空間。
 

上質な生地で丁寧に作られた椅子と。デコラティブな壁紙と。艶やかだけれど、少し暗いシャンデリア。
全てが作り込まれた世界で、唯一の質感を持つ、膚のような。
手の陰影や、椅子の手すりの木のにおいとか、が。

触れられるくらいに、リアリティを持って、其処に存在している。
 

すっ、と伸びた指先。
柔らかく落ちるドレープ。
伏せた睫毛にそそぐ影。

植物と寄り添うariaが好きで。
今日は色んな植物と撮影させて貰ったのだけれど。
最後に、植物の無い夜の洋館で撮らせて貰ったら。

僕は、この場所での写真が一番、しっくりというか、とても好きになった。
ariaも、この「丁寧なモノクロ」がとても気に入ってくれて。

何度も液晶画面を見ていたのが印象的。

写真はすぐに送るよ。と、言っても。

あぁ、でも、今、今すぐここで見ていたいくらい、きれい。

と、うっとり小さな背面液晶を見るaria。
 

この写真が、今日撮った最後の写真。
ariaの骨ばった大きな手が、とても美しくて。
横顔のラインがとても綺麗で。

あぁ、撮らせて貰って、本当に良かった。と、思ったのです。

一日を通して撮影をさせて頂き、色んなお話しをして。
こんなに自分のあらゆる面や技術を駆使した日も、久しぶりで。
とても楽しかった一日でした。
何日も撮影していたような錯覚。

大阪滞在、15時間。
撮影時間、4時間くらい?

モノクロームとariaでした。ありがとう。
また、一緒に世界を紡げたら嬉しいです。

 


木漏れ日の、白と   @aria

桜の丘を降りると、馬場があって。
あ、馬がいるんだなぁ。ってとても嬉しくなったのを覚えてる。
さいごに乗ったのは去年の大山の湖までの道。
森の中を馬で抜けるのが、最高に素敵だった。
 

実は、そんなことを考えながら撮っていたので。
心が五月でした。

白のトップスになってもらったariaは、また雰囲気が違うでしょ。
 

雪柳が内緒話をしているみたいな、小さな世界。
ariaは、植物がとても似合うなぁ。と思いました。
植物と向き合って写真を撮る事が出来る人は、植物と対話が出来る人だけど。
ariaは、対話というよりも、植物になってしまうような。
その、空間にすっと、溶け込んでしまう不思議な雰囲気の持ち主です。
 

出来るだけ、柔らかに、ariaの持つ透明感や優しさやたおやかさを、静かに縫い止めるような気持で。
シャッターを押したのを忘れません。
場所ごとの撮影枚数はとても少なくて。
全部違う表情だから全部綺麗で。

ふとした、目線がとても穏やかでした。
 

植物が好きな人と、そうでない人(興味が無い人)というのは、距離感と目線を見ているとよく判ります。
植物にも心はあって、相性もあるから。
植物だって、人を選びます。自分の話し相手だって、選びます。
 

弧を描く雪柳の香りがふわりとします。
この、香りと桜の香りが合わさると。
あぁ、春のにおいがするなぁ。と、思います。
 

漠然と、春を傍観するけれど。
それでも心は死んでないみたいで。
美しいものを見ると、美しいと思うし。
苦手だけど、嫌いだけど、「興味がない」というのは違って。

好きと、嫌いは、心が動くけれど。
興味が無い、というのは心が動かない。

どんなに素敵な花が咲いてても、どんなにいいにおいがしても。
興味がない、と心が動かない。
 

木漏れ日と芝生と雑草の下に続く、雪柳の小さなアーチ。
触れられても、触れられなくても、美しい事には変わらない。

植物の心が、何処に在るか。考えた事があるけれど。
考えている時の我が家の植物たちがとても面白くて。
みんなして、わいわい、聴きたがる。
自分の事を考えている人の事がわかるみたいで。
もっと聴かせて、聴かせて、と。言葉じゃなくても求めて来る。
 

『言葉で伝えないと、伝わらないよ』なんて言葉は、大嫌いです。
一緒に居たらわかるでしょ。
勘違いなんかじゃなくて、空気感、って言ったらずるいけど。

確証が欲しいのは自分自身が不安だから。

そうじゃなくて、もっと確かなものはここにあるはず。
いつも植物たちと向き合うと思います。
 

『君が好きだ。』

『知ってる。』

そんな、言葉じゃない、会話。

ariaもしてるように思いました。
何かを愛することはとても素敵な事だと思います。
それが、何であれ、どういう感情であれ。

心は、まだ、生きているようです。

雪柳とariaでした。ありがとう。


 


緋色の、  @aria

八重桜のモノクロームを撮らせてもらったすぐあと。
公園の中であちこちで咲いていた椿がとても気になっていたので、撮らせて頂きました。
 

ariaのこの日の写真は、打ち合わせほぼなしで、長時間のがっつり撮影は初めてだったので。
出来るだけ、僕も色々曝け出して行こうと思って向き合いました。

鮮やかな緋色。
ヴィヴィットだけれども、どこか水っぽい質感で。
 

この赤が、綺麗に撮れるといいね。と、ariaと話して。
カラーで撮りました。

黒が、思慮深い夜の海の蒼になる。
ドレープの美しさと膚の白さが対比する。
 

絵を描くときはいつも赤を使っていた気がします。
写真を撮るようになって、赤よりも蒼が多くなって。
いつだって蒼に憧れていて、使えなかった。

緋色や赤を見るとほっとします。
狂気的だけれども、人に一番近い色だと思うのです。
 

仄暗い質感の膚が、陶器のようで美しく透明になる、この色彩が本当に好きで。
淡い色彩も、モノクロームも、ヴィヴィットカラーも。
全部、全部が、一つの世界の構成物質にすぎなくて。
でも、本質はその内側ではなく、もう少し離れた場所にしか存在しない。
 

何かを理解しようと必死になればなるほどに、遠ざかってしまう。
きっと、僕は器用な方ではない。
だから、判ってても必死に、必死に、求めて。求めて。
その、輪郭を必死に。触れるか、否か、のギリギリで見つめている。

鮮やかな世界に憧れて。鮮やかな世界が撮りたくて、写真を始めたのを覚えてる。
 

ブルーブラックの黒髪が美しくて、赤に映える。
きっと、僕は見たままの景色は何も撮ってないけれど、この心が感じた光景は撮れていると思う。

けれど、自分が見ている景色と同じ景色を見ている人はこの世の中に一人だって居ないと思う。
この色彩を見て、解釈しているのはこの脳一つだけなのだから、僕は一人しか存在しない。
このariaを見て、脳がこの光と色を見つけたのだから、この世界を僕は確かに見ている。
 

強い眼差し。
僕の躰ではなく、少し遠くを射抜く。

もっと、君と対峙したい。
もっと、その心を見てみたい。

そんな風に思いながら撮りました。

椿とariaでした。ありがとう。


 


八重の方袖 @aria

ソメイヨシノでは淡い色彩で撮影させて頂いたariaですが。
八重の白い桜が満開で。
とっても可愛い雰囲気で…全くariaに似合わず。笑
 

艶のあるモノクロームで撮影させて頂きました。

ariaの芯の強さが、モノクロだと引き立つようで本当に綺麗です。
 

被写体になって頂く方というのは、こちらからお願いする方がほとんどなのですが。
一様に、多面性を持つ方が多いです。
ふとした表情や、言葉の節々に、違う面がちらりと、見える。

僕はそれを「見せて」欲しいんじゃないんです。
それを、勝手に感じて勝手に想像して、撮影しています。
 

被写体をしていると思うのですが、写真に写った自分と鏡の中に見る自分は全く違います。
セルフポートレート以外で誰かに撮ってもらう自分は、自分ではありません。
第三者を介した、誰かが理解し解釈した自分の一部です。

桐島は被写体の方に表情を作る事やポーズの指定等はしないので、ただそこに居て貰っています。
それだけで十分、そこに存在するだけで美しい。
それが、被写体だと思います。
 

ariaの持つ、少し不穏な空気が、モノクロームととても良く合う。
少しハイコントラストにしたモノクロ設定が、とても気に入ってくれたようで。
画面を嬉しそうに何度も確認する。

目で見た世界と、僕の世界は違うでしょう。
だから、いいんだよね。
 

春は恐ろしい季節だ。
生命の息吹のエネルギーに気圧されて、自分がひるんでしまうのを感じる。
あまりに勢いがあるものに囲まれていると、萎縮してしまうのだ。
それを、喜びや祝福として受け止めるだけの度量が、無いだけだと思う。

それでも、春はやってくるし、ヨメイヨシノが散り、ヤエザクラが咲き出す。
 

あなたが幸せで在ってくれたら、なんでもいい。

なぜか、そう思った。

天気予報を裏切る青空と暖かな日差し。
白く、希望のように浮かび上がる八重桜がとても美しくて。
一瞬だけ、とても幸せそうに笑うariaが撮れて。

あぁ、美しい景色だなぁ。と、僕はファインダーの中で惚けてしまった。

八重桜とariaでした。ありがとう。


 


桜霞の君と、 @aria

今年の桜は、ariaを撮らせて頂きたいと。唐突にariaにメールをして捕まえました。
雨予報の大阪。
でも、よい天気で、薄曇り、時々晴れ。

aria、ひさしぶり。
 

撮らせてもらうのは2回目だけれど、こうして丸一日撮影させて貰うのは初めて。
ariaの暮らす場所で、自分が知らない景色で撮りたくて「じゃぁ大阪行くね」と行ってびびらせてしまった…。
 

ほぼ、1年ぶり。
連絡も、葉書とか。そんな感じで。
あぁ、生きてるんだ良かった。って感じで。
それでも、こうして逢える事が嬉しいし、被写体をしてくれる事が嬉しい。
 

ariaの持つ世界は、こういうキラキラした世界じゃないけど。
たぶん、一瞬の光は、目を、心を貫くrayは、こういう光だと思う。
その後に内側から瞬時に何もかも浸食されてしまうような錯覚に囚われて。
その、衝動的な破壊の元に、ariaの作品が生まれるんじゃないかと。

勝手に、僕は思うのでした。
 

僕はariaの事を情報としてすごく知っているわけではないけど。
写真を教えていたので、たぶん、言葉じゃなくて、もう少し抽象的に彼女を捉えているところがあると思う。

でも、言葉にする必要があまりない、この関係が僕は好きで。
人の心の中心に杭を打ち込むような、この写真を「撮る」という行為を受け止めてくれるだけで。
なんだか、感謝したくなる気持ちになる。
 

美しさ、というのは言葉にすればする程に、判り易く分解されてゆく。
細分化して均一になって、どんどんつまらないものになる。

目の前にある事象や、心にわき上がる感情を、そのままぶつけることなんて。
「そんなことをしてはいけません」と、何度たくさんの大人に言われた事か。
でも、そうすることでしか、許容出来なかった事がある。
 

静かに穏やかな言葉で、的確に物事を伝える事は、何かのゲームみたいで。
そうすることで、お互いの距離感や立ち位置を確認して存在している都会の路線図みたいで。

ariaと写真を撮っていると、そういう「大人」の事なんてどうでもいいんだって。
あっけらかんと、思える。
 

それはariaがザックリしているんじゃなくて、その反対で。
とてもまっすぐに、全てに向き合って生きているからだと思う。

真摯に向き合う事はとても辛い事だけど、そうすることでしか得られないものしか、無い。
世の中には、そんなにたくさんのものは存在しないし、答えは2、3個しか、無い。
 
淡い色彩の中、少しラベンダー色の桜色の撮影画像を見て「あ、あの展示で見た桜の色ですね」と嬉しそうに自分が写った液晶画面を見て笑うaria。

中性的な美しい横顔と首のラインがとても綺麗で、その雰囲気が春の霞にとてもよく似合うと思った。
ずっと逢ってなかったのに、何故かそう思ったのだけど。
それは、間違いじゃなかったのが嬉しい。

一日中お話をしながら、色んな場所でさまざまな面を撮らせて貰ったので、分けて掲載します。
多面性があるのは、誰も同じ。
向き合う面を変えて、感情も心も、変えて。

それで見える世界は、いつも、同じなんです。

ソメイヨシノとariaでした。ありがとう。


 


千鳥ヶ淵の人攫い@夜櫻写真

PhotoCafe桜撮影会でも行った千鳥ヶ淵緑道。
撮影会の為に初めて行った場所なのですが、下見を合わせて4回行きました。
撮影会の後に、もう一度独りで夜桜が見たくて。もうちょっと違う表情をする場所なんじゃないか、って。
そう思ったんです。
たぶん、自分が思っていた千鳥ヶ淵のイメージよりも、だいぶクリーンな感じだったから、かも。
千鳥ヶ淵や九段下の辺りは、自分的に行ってはいけない場所というか足が向かない場所、でした。
PhotoCafeで桜の名所を探してて行った事が無かったので決定したけど、そうじゃなかったら行かなかった、かも。
場所的には「東京桜名所」の第1位の場所なので、申し分は無い桜並木。
 

都会の櫻は夜景が写り込んで綺麗です。
夜櫻ライトアップ期間なので、満開のこの場所はものすごい人混み。交通規制が入って人の波になっています。
ふと、目眩のような感覚。満開の櫻のにおい。
 

見上げると、桜が無言で凝視してくるこの、空間。
無表情の眼、眼、眼。

ソメイヨシノは、なんでか、無表情の植物に見えるのです。
それが、視界一杯に、狂気的に埋め尽くされている。
 

くらくら、する。
あぁ、何だろう。この、生き物の体内に飲まれてしまったような感覚は。
人混み独特のうるささが苦手で、ヘッドフォンの音量を上げました。

小さな写真では、ちょっと判り難い雰囲気なので大きめの写真もUPしています。
サムネイルをクリックすると拡大します。

これは、満開の千鳥ヶ淵だからこそ、の世界観というか空気なのかもしれない。
霊感とか、無いんですけど。えぇ、大人になってからは現実に生きてますから…。
やっぱり、千鳥ヶ淵って、怖いです。
 

すっぽり包まれてしまった、閉塞感。
櫻で、口と鼻を塞がれたような感覚。

人の声がノイズみたいにかすかに聴こえてくるけれど、周りの人の顔はのっぺらで何も見えない。
あぁ、死霊のはらわた、だ。

と、何故かその言葉が頭に浮かんだ。それは何だっけ?映画のタイトルだっけ、とぼんやり思考する。
こんなに鮮やかでグロテスクで、猟奇的で美しい世界があるんだと。
 
櫻を見に来た大量の人達に何が紛れ込んでいても判らない。
お祭りでお面を被るのは、人じゃないモノが紛れ込んでいても見て見ぬフリをするためだよ、とひぃおばぁちゃんに教えて貰ったのを覚えている。
きっとここにもたくさんのモノが紛れ込んでいると思う。
 

都会の夜は闇じゃなくて、曖昧な仄暗いダークグレーで。
白に近い薄紅の櫻は毒々しいライトアップの色彩で僕には「はらわた」に見える。
 

息継ぎ、がしたくて人の波から外れるけれど、またすぐに眼は櫻を追ってしまう。
なんだろう。
怖いのに、見たくないのに、それでも見てしまう、美しさ。
 

そこかしこから花ばかりがついた枝が伸びて、僕を覆ってしまいそうな、錯覚。
無感情な櫻。でも、静物よりは動物的な、本能。
 

千鳥ヶ淵は、怖い場所です。
櫻は、春は、嬉しい感情も、幸せな感情も抱きませんし、苦手です。

でも、美しいと、思います。嫌いでは、無いです。
ちょっと、すごい場所で。 手強かった、です。

 


雪原の赤ずきん@咲真

久しぶりの人物撮影。
そして、久しぶりに咲真くんを撮らせて頂きました。
 

薄いグレーとオフホワイトの雪原に佇む黒のシルエット。
モノクロの目で見ると濃い赤は黒になる。
 

白樺の森は雪が降ると本当に真っ白になる。
誰も歩いていないふかふかの雪原を、気持よく歩くのも、しあわせ。
 

モノクロだけ撮るつもりだったので、全てモノクロを想定して用意しました。
と、いってもメイクとケープくらいですが。

久しぶりにきちんと咲真くんを撮らせて頂きます。
装備は他の人では人物撮影に使わないNikonD300。
 

雪が降っている感じの中で撮りたかったのですが、この日は撮影場所に到着したら雪が止んでしまい…。
ちょっと不完全燃焼だったのです。
ずっと頭の中にイメージが在って。
冬の森の中に佇むモノクロームの赤ずきん。赤ずきんとかグリム童話といえば咲真くんだな、と。
(因にラプンツェルとかシェイクスピアは木桃さんのイメージ)

さいきんはPhotoCafeアシスタントのさくまあきみですが。
被写体として向き合うとまた違います。
 

カメラを前に自然な表情。でも、無作為ではない丁寧な空気感。
北原さんの新作の百合の紋章ブローチが映えます。
 

翌日。大雪です。
しかも、風が無く、とっても素敵な撮影条件!

昨日は平床で撮影でしたが、今日は石の湯の庭での撮影です。
真っ白で、背景がなんだか白。
 

雪の粒をふわりと、写し込めたくて。
この感じは、雪が降っている状態でしか撮れないので。

素敵に降ってくれて本当に嬉しいです。
気温が低くて、コートについた雪の結晶はずっとそのまま結晶で残ります。
 

クレソンの小川の近く。
2月に来たときよりも、ずっとずっと雪が深くなっていました。
前回の大雪が残ってて。橋がもっと埋もれてましたよ。

この白樺のたたずまいが美しくて。
隣に咲真くんが立つと、絵になるのです。
 

カメラを意識しない被写体はいませんが、カメラを意識したカメラ目線のグラビアみたいな被写体に興味はありません。
また、作品創りの上で、カメラを見てにっこり笑った写真も要りません。

その人自身が持つ、その人自身が抱えている、ひとりぶんの問題や闇や、向き合わなければいけないこと。
時間や、記憶、感情などを、撮りたいと思うのです。
 

それを、演技ではなく、演出ではなく、自然に表現出来る被写体は少ないです。

たぶん、それは被写体としてではなく、撮られる立場にならなくても魅力的でなければ成立しないこと。
撮影者と被写体の関係性や価値観にも起因すると思います。
だから、撮りたいと思う人が非常に少ないです。

咲真くんを撮らせて貰うようにになって、たぶん15年くらい経ちます。
(今、数えてみてほんとーーーーーにびっくりしました。笑)

其処に、存在するだけで、意味がある被写体です。
 

その人を撮る意味、というのは撮る前に8割くらいは答えが出ている気がします。
あとの2割はたぶん、無くても成立してしまう程度のもの。

どんな場所でも、どんなシチュエーションでも、撮りたい。と思う人は、撮れるのです。
 


咲真くん。寒い中、被写体ありがとうございました!
素敵な作品をありがとうございます。




 
東京キャットガーディアン×PhotoCafe桐島ナオ 月イチ*猫撮影会  
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カラーとモノクロームの境目@冬の森の木桃いつな

2013年最後の撮影、冬の森で木桃さんを撮影させて頂きました。
少し、唐突な依頼で撮影させて頂いたのでラフな感じです。
シックなお洋服で、ヴァイオリンを持って来て頂きたい。

撮らせて頂きたいのは、「凪」だ。と伝えました。
 

柔らかな日差し。
冬の、ふんわりしたハレーションは大好きです。
春の少しきつい光も嫌いではないけど、全てが消えてしまいそうな冬の、この明るさが好き。
 

カメラはよく持っているのに、なぜかものすごく久しぶりに写真を撮った気がしました。
たぶん、この深度までもぐったのが久しぶりだったからだと思います。

光を読む感覚。自分ではない人と呼吸も心臓も合わせる感覚。
 

掴みたいものは、なんだろう。
感じたいのものは、なんだろう。

答えは出たはずなのに、また判らなくなる。
判らないふりをして、判ってしまった気もする。

少し、まだ。曖昧な感覚と、境界線。
きっと、まだまだ、なんだと思う。
 

柔らかい光と柔らかな色彩が、優しいのとは違う。

よく木桃さんを「ふんわり可愛いらしいですよね」と言って頂く人が多いのですが。
桐島は木桃さんをふんわり可愛いらしい、と思った事はないです。

きっと、淡い色彩が似合う少女性のある人だから、そう「外見的」には見えるのかもしれません。
撮りたいのはそういった可愛いらしい外見ではなく、もっと暗くて透明な底辺の、水面。
 

強さ、に近いです。

芯がある人にすごく惹かれるのですが、それとも似ている。

ただ、そこに存在している美しさのようなもの。
近づかなくても、共鳴すれば共感覚を得てしまうもの。
 

途中から、モノクロームにしてみました。
とっても、素敵で、僕はとても集中して撮影していたと思います。
木桃さんもとても意識を研ぎすませてくれました。

でも、この写真はものすごく好きなんだけど、少し近すぎたかな、と思います。
あと。共鳴しすぎて少し強すぎるような。
強さって、貫くようなものは、本当はそんなに強くないんです。

本当に力のある写真というのは、動的なものではなく、意識のぶつかりがあってはいけない。
それでは撮影者、被写体、閲覧者の意識がバラバラの方向へ向いてしまう。
僕が撮りたいのはそうじゃない。
 

すっと、こちらに意識が向く。

何気ないような角度と向き合い方。

そこにカメラがある事を忘れてしまったような、感覚。

シャッター音なんか、とっくに消えていて。
僕は木桃さんになって僕を見ていて。
木桃さんは僕になって、自分を見ているのだと、思った。
 

衝動的、なのが悪いのではなく。

外側へ向おうと進む力が全方向へ向かうと、最終的には身動きがとれなくなるということ。
そうした力のゆくさきは、同心円の中心へ向う。
外的なものではなく、内側から外へ向う運動は、最終的に自分自身へと向う。

物理の法則はたとえ話ではなく、いつだって自分自身の思考そのものだ。
 

もっと、感覚を研ぎすませたい。
もっと、感性を豊かにしたい。
もっと、美しい世界を見たい。

僕はもっともっと、たくさんの事を学ばなくてはいけない。
その為に、出来る事はなんだろうか。

自分がやるべき事を実行する事は難しくない。
やるべき事をきちんと見つけられる事が難しいと思う。
 

自分と向き合う事は恐ろしくなくなった。
それよりも、この空虚な空間をどうやっていこうか考えてる。

優しい人になりたいと思った。

でも、それは誰かに何かをしてあげられるとか、心が広いとか、そういうんじゃなくて。

生き物として、何かに関わって、それが、より良い方向へ行く力を持てるような。
そういう強さが、欲しいと思いました。

もっともっと、気持を深めていかなくてはいけない。

全ての方向へ全ての意識と力を向ける事ができたとき。
静かに、力の均衡は中心へと、落ちてゆくと思います。


木桃さん。寒い中撮影ありがとうございました。
2014年も、どうぞ宜しくお願い致します!
 

 

 
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「白銀の魔法の森へ!PhotoCafeTravel!2014winter! in志賀高原石の湯ロッジ」国撮影旅行公式WEBです!

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